無名人の独り言・メールコーナー

このページには、私が日頃思うことを
随時書きたいと思います。
  
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  無名人の独り言 別項 (日々の出来事について思い付くままに) 
 無名人の独り言 49 (罰当たりの単細胞が問う不可解な慣習)
無名人の独り言 52 (こんな人物が世を仕切っている現実)
無名人の独り言 25 (戦争とは無縁と思い込んでいる人々に)
   以下の項目は常時掲載します。
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※ わざわざ「無名人」としたのは、有名人の言動にのみ過度に反応する世の風潮への大きな疑問からです。



無名人の独り言 53  (人間社会の劣化を思わせるモラルの低下)  (2018.7.15 記)  

もう政治がらみの出来事からは離れようと思いながら、つい諦め切れずにまた書いてしまうのが私の悪いクセ!(杉下右京のクセがうつったかも?)なぜって、あまりにもひどい最近の日本でしょう?何も気にしないで過ごせればいいけれど、子や孫たちが生きていかなければならないこれからの日本がこんな状態では、安心して消え去ることもできませんよ!

何と言っても
一番の問題は、非正規という名の「いかにも働き方を自由に選べるようなシステム…実際は企業が働く者を自由に切り捨てられるシステム」を導入したことによって若者の多くが将来に希望を持てない立場に置かれていること、人生設計どころか目前の日々の生活さえままならない状況を作りだしたこの国の政治、それに加えて更に高プロとかいう過労死を増やしかねない曖昧な制度も怪しげな姿を現しました。一方で大企業は多額の黒字でも平然と内部留保で懐を肥やし、実際にそれに貢献している働く人々には雀の涙ほどの施しでお茶を濁す状況が続いています。傘下の中小企業に対する支配の仕組みに至っては相変わらずの傲慢極まるものです。

「日本製なら大丈夫」との
絶対的な信頼で世界から高く評価されていたご自慢のものづくりにも陰がさし、今や世界に名を知られた大企業までがスキを見てはデータ改ざんなど会社ぐるみの犯罪に手を染めて一挙に信頼を失う愚かな姿をさらし、戦後長い年月をかけて先輩たちが血と汗の結晶によって築いてきた日本のものづくりへの信頼という、目に見えない貴重な財産を無残にも奈落の底まで陥れ兼ねない状況を招いています。目先の利益に目がくらみ、子どもの盗み食い同様僅かずつ悪事の深さを増していった結果、気付いたときは予想以上に大幅な違反で隠し通せなくなったのでしょう。こうした企みに企業のリーダーたるべき人物が関わっている例が決して少なくないことは、やはり彼らのモラル意識に大きな問題がある訳で、そのような人物に率いられた一般の従業員こそ最大の被害者ということになります。

彼らに見るように、
「尻尾をつかまれなければ何をしてもいい」「法律の網の隙間をうまくくぐるのが上手な生き方」という姿勢がありありと見られる企業や個人も増えつつあり「特殊詐欺」という名の警戒心を欠く高齢者を獲物にする新たな業界は笑いが止まらない状況です。一般の人々の中にも漠然とした不満が蓄積しているためか、小さなことで暴発し易く予想外の結果を招く場合も増えてきました。日常生活の中での小さな約束事や不文律などは容赦なく踏みにじられる場面が目立ち、堤防に開いた僅かな穴が大洪水のきっかけになるのと同じく、モラルの崩壊の到来がさほど遠くないことを思わせる昨今です。

形の上では最高の地位にいるはずのあの男が散々繰り返してきた身勝手な振る舞いの影響が、多くの組織の上に立つ人間の意識に潜在的に影響しているように思えてなりません。絶対少数の野党による質問や批判ははぐらかし、官僚作成の原稿を棒読みしたり自説を蕩々と述べて決して真摯に答えず、多くの疑惑に正面から向き合おうという姿勢は全くありません。これがそのまま企業や官僚の上層部の人間に伝染して、中央でも地方でも少なからぬリーダーたちの非行を引き起こしています。

国でも地方でも
頻繁に起きるようになったモラル不在の現象を見せつけられる人々も当然その影響を無意識に受けている訳で、「彼らがあのようなことをするのだから、少しぐらいは構わないだろう」と思いたくなっても不思議はありません。「国民のための政治」でなく自らの立場を守りお友だちを厚遇することを優先するあのような男が全能の神気取りで居座っている限り、この国は「正直者がバカを見る世の中」から永久に脱却できないような気がします。 




無名人の独り言 別項  (日々の出来事について思い付くままに)  (2018.7.7 追記) 
 ウソと隠蔽のスーパーマーケット、モラル不在の安倍政権 

数え切れないほど多くの細かい事実を改めて並べるまでもなく、安倍政権がらみで繰り返されてきた様々な違法行為は到底許せるものではありません特に財務省関係の出来事は信じられないほど悪質で、これが巨大な財政赤字を抱える国の財布を一手に握る組織の実態かと目を疑いたくなってしまいます。森友学園との異常極まる土地売買関係の操作や、加計学園獣医学部の設置に関わる特別な配慮など、明らかにあの独裁者安倍への官僚など周辺の人々による忖度が大きく影響しているとしか思えないことです。それにもかかわらず、彼は明らかな証拠が示されても逃げ口上に終始するばかりで、口先だけの謝罪はしても全く反省の色は見えず、野党議員らによる追及に居丈高に反駁する姿は正に奢れる清盛そっくりです。

モリカケに加えて防衛省関係の問題もやり玉に挙がり、政権がもくろむ
「働き方改革関連法案」政治に関わる人々こそ働き方を改革して欲しいもの)や「カジノを含む統合型リゾート法案」ギャンブル依存症患者が激増することがほぼ確実な悪法)などの審議が滞っています。政府はその原因が野党の審議拒否や問題追及の繰り返しにあるとしていますが、民主主義を根底からくつがえす怖れの大きい文書の改ざんや廃棄などの方が遙かに重大な問題であることを考えれば、法案審議が進まない最大の原因を作りだしたのは政権側であり、一刻も早く真相を明らかにすることが国会正常化への近道です。率直に非を認めて本心から謝り姿勢を正して政治家の本来あるべき姿を取り戻せば、国民の政治不信も少しずつ薄まっていくに違いありません。歪んだ選挙制度で勝ち得た絶対多数にあぐらをかき、政治的良心を捨て去って強行採決を繰り返してはばからない政権に対して弱小野党が抵抗する手段が審議拒否や不信任案提出以外に何があるかを考えると、暗然とした気持ちになってしまいます。

驚いたことに、こうした安倍一派の期待に添うように最近の世論調査では政権の支持率が上昇気味になっているようです。省ぐるみで多くの不祥事を起こしながら辞任はおろか真摯な反省すら示さない組長風大臣、その支えを最大の頼りに歴史の逆転を目指しているあの独裁者、官僚集団を威嚇により思うがままに操縦して悪事の片棒を担がせている内閣府のイエスマンども「こんな大嘘つきの人たち」がのさばる政権を多くの国民が支持する理由は果たして何か、私にはとても理解できません。多分見せかけの経済政策による庶民には縁の薄い見せかけの景気回復の方が、政治の腐敗傾向よりも人々には身近で重要なことなのでしょう。戦後怒濤のように流れ込んで日本人の精神構造を根底から蝕んでしまったアメリカ流の価値観が、人々の心の奥底に「モノカネが全て」の意識を強烈に植え付けてしまったことは疑う余地がないように思います

 
予想通りだが呆れかえるしかない! 検察による“ご賢察 

森友学園への土地売却問題を捜査していた大阪地方検察庁が関係者全員の不起訴を決めたことは、この問題の裏に隠されてきた安倍政権の狡猾かつ強引な官僚支配などの政治的な面に言及しにくい司法の場とはいえ決して納得できるものではありません。今後は検察審査会の対応に期待するしかありませんが、このままうやむやになるとしたらあまりにもひどい話です。細かいことは覚えていませんが、60年以上前の造船疑獄では、疑いが極めて濃厚だった政権内の人物を守るため法務大臣が検察に対して指揮権を発動し、うやむやのまま不問に付す結果をもたらしたことがありました。

今回
もし陰でそのようなことが行われていたとすればずっと中身が未成熟なままできたこの国の民主主義は遂に瀕死の状況に陥ったということになります。官僚と同じく検察までが、手段を選ばず自らの野望を押し通す独裁者安倍に忖度して世論にも背を向け政権に好都合な結論を出したとすれば、もはや何をか言わんやです。

三権(立法、司法、行政)の分立は民主主義体制の根幹です。現在は自民党が寄生政党の公明党とともに国会での絶対多数を握り、事実上は何でも最終的には押し通せる状況になっています。従って、行政機関である安倍政権が望むことは、直ちに立法機関である国会でも手段を選ばず成立させることが可能です。事実、安倍政権は丁寧な説明はおろか野党の質問などほとんど歯牙にもかけず、世論をも無視して強行採決を繰り返してきました。

つまり、
安倍政権は三権のうち二権を完全に握っているのです。残る一つの司法権は一応独立している筈ですが、これとても、いざ政権の一大事となれば最終手段として指揮権発動が待ち構えています。結局、現在のように政権側が圧倒的多数を占めているときは、いくら三権分立と言ってみてもそれが機能するかどうかは与党の総帥(つまり総裁=首相)の良識の有無にかかっている訳で、虚偽も欺瞞も平気なあの人物が仕切っている状況ではアフリカの新興国やすぐそばにある一党独裁の国と何ら変わりがないと思うのです。

今回の
大阪地検による不起訴処分の決定は、安倍政権にとってはこの上なく有り難い助け船となりました。文書改ざんの主犯である財務省の元締めはこじつけでしかない屁理屈を述べ、独裁者安倍もまた野党党首との討論の場で恥ずかしげもなく自らの行為を正当化したのです。国民の多くが決して納得していないモリカケ問題をはじめとする政権の不明朗なあり方を、大阪地検はまるで政権におもねるように疑惑を葬り去る方向で終結させてしまいました。このようにして、映画の題名「悪いやつほどよく眠る」をもじれば、「あくどい政治屋ほど長く居座る」のです。

それにしても、私の存命中にこの国の右傾化がどこまで進むか、想像さえできない昨今です。

 
ここにもあった、権力を手にした者の奢り

あのアメフト部の監督もまた独裁者安倍と同種の生き物で、懸命に技を磨く部員を人間として扱わず自身の欲望を満足させるための道具としか見ていなかったのです。問答無用の理不尽なやり方で部員を追い込むのは、ちょうど旧陸軍の手法と何ら変わらず忠君愛国の思想にも通じるものです。大学の体育系がともすると右翼団体化していく原因とも考えられます。特に集団競技の場合は競技者全員の気持ちの一致が基本的条件になるため、個人競技よりもその危険が大きくなりがちだと思います。

成人とはいえ僅か20歳の宮川君が悲壮な覚悟で開いた会見、その場で彼が語った内容に疑いを差し挟む余地など全くなかったというのがほとんどの人の気持ちだと思います。大好きな、恐らく最も大きな生き甲斐でもあるアメフトに別れを告げる決心までして会見に臨んだ彼の誠実な言動に比べて、その後の会見における内田理事や井上コーチの態度はあまりにも不誠実極まるものでした。客観的に考えれば当然あったと思われる発言を否定し、まるで宮川君が自己判断で危険行為を行ったように主張する卑怯さは、到底納得できるものではありません。要するに自分たちが“教唆”にあたる言動をしたことがないように言い繕って、罪を愛弟子でもあったはずの若者一人に押しつけようとしただけなのです。

私は
この状況が何となく安倍政権の姿に似ているように思えてなりません。多少はウソもあったとはいえ決して全部がでたらめではなかった籠池氏の陳述をまるで全てが彼の創作ででもあるかのように無視し、異例なほどの長期拘留で口を塞いで政権への影響を防ぎました。その後に頻発した財務省関係の事案では「全ては部下のやったこと」として麻生氏自身は責任を取ろうとせず、ジレンマに陥って自殺に追い込まれた近畿財務局の職員の苦しみなど一向に気にならないようです。内田、井上両氏の行為はこれと全く変わらず、宮川君一人に罪を被せて白を切る魂胆が見え見えです。被害者の父親が、宮川君の誠実さに感じて罪が軽くなるよう計らうと述べていることだけが僅かな救いです。


        
以下は、長い人生をバカ正直に生きてきた中で得た私の持論です。

その任に相応しくない人間が大きな権力を持つと、とかく自らが万能の神であるかのような錯覚の下に勝手放題な言動をするようになりがちです。やたら威張り散らして暴言を吐き、些細なことで部下を咎め嫌がらせやセクハラ、ひどくなると姑息な手段を弄して追い出しにかかるなど、世間ではよく耳にします。一方、立派な人格と識見を具えた人物は、重要な立場に置かれるようになっても決して権力を誇らしげに振り回したりはしません。立場では上司と部下であってもそれは仕事上のことで、人間としては対等であるという姿勢を失わず敬意を払うものです。そのような上司なら、当然部下も人間としての尊敬を払い心からの信頼を寄せて共に働くことを喜ぶようになります。

「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」は私がずっと持ち続けてきた人物評価の基準です。つまり、「完成度の高い立派な人間は、実った稲穂のように謙虚で慎み深いものである」ということです。年々増殖しているこれとは正反対の人々、横柄で傍若無人、(単なる知識ではない)教養を欠き粗野で大声で喚く人々、ちょっとしたきっかけですぐ興奮して暴力を振るう瞬間湯沸かし器など、昨今の日本では珍しくなくなった困った存在です。名刺にさも偉そうな肩書きを幾つも並べて得意になり周囲の人々にそれをひけらかすのは、幼児が新しいおもちゃを友だちに見せて得意になるのと同じ幼稚な行為です。人間として本当に偉いのは、目立たなくても真面目に真剣に日々を精一杯送っている人々であり、この世界はそうした人々の営みで成り立っているのです。 
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無名人の独り言 49  (罰当たりの単細胞が再び問う不可解な慣習)   (2018.3.6 追記) 
再び、現代社会に根強く残る不可思議なもの、干支(エト)に関して
                                               
日本人の多くは政治についての話題を避けたがり、また理屈をこねる人間は嫌われたり煙たがられたりしがちです。自分の考えを押し殺して周りに合わせることが何よりの美徳で、それができない人間は子どもの世界でも組織など大人の世界でも孤立することになり易く、それが学校や職場でのイジメを生み出します。困ったことに私は孤立を恐れる気持ちを全く持ち合わせず、不正や理屈に合わないことには徹底的に抵抗する偏屈な人間なのです。この項はそうしたことを前提として読んで頂きたいと思います。

さて、以前の私は
毎年晩秋になると翌年のカレンダー選びに苦労させられました。その最大の理由はほとんどのカレンダーに友引、仏滅、大安・・・などの「六曜」が記入されていることでした。このような「全く根拠のない怪しげなものが大手を振ってまかり通っている」ことが、私には我慢ならないのです。調べてみるとそれぞれに吉凶や運勢などの特性が示されていて、特に年配者にはそのことを強く意識する人も多いとか・・・。数年前にようやくそのような記述のない山と渓谷社のカレンダーを見つけてからは探し回る苦労もなくなりました。素晴らしい山の写真で構成されたこのカレンダーには、六曜が記入されていないだけでなくもう一つ私が関わりたくない年号(元号)も書かれていないので、毎年このカレンダーを購入し部屋に飾って大好きな山の風景を楽しんでいます。カレンダーは一年間を通して使うものなのでこのようにこだわるのです。

年末から散々聞かされた「来年(2018年)は戌(イヌ)年」という言葉も、私には「2020年の東京オリンピック」同様耳障りでならない言葉
です。古代中国由来の干支が長年にわたって暦や時間、方角などを表す方法として用いられてきたことはよく知っています。今ではほとんどいないと思いますが、以前は年齢を生年の数字ではなく「申年生まれ」などと干支で言う老人も少なくありませんでした。TVなどで普段筋道立った議論を展開しているコメンテイターまでが「来年はイヌ年で・・・」などと浮かれている姿を見ると、本当に不思議でなりません。

確かに「正午」、「端午の節句」、「土用の丑の日」をはじめとして各地の行事の名称などに干支に関わる表現が使われている場合は少なくありませんが、
遙か昔の中国で干支一つ一つに根拠もなく与えられた意味や役割をさも真実であるかのように用いるのは、宇宙ロケットが飛ぶ現代に生きる者としてはどうかと思います。私がエトに反感を持ったきっかけは、戦時中の疎開先で昔風に言えば「丙午生まれ」の母を「ひのえうま生まれの女は・・・・」と陰口されたことからです。こうした迷信は中々なくなるものではなく、つい最近でも、ひのえうまの年には出生数が少なくなったという信じがたい事実があったようです。

私はTVドラマ「科捜研」の榊マリ子のように
科学万能などとは全く考えていませんが、それでも著しく合理性を欠く物事には非常に抵抗があるのです。「友引に葬儀を行うと知人の死を招く」とか、「仏滅は最も凶、大安は最も吉」など、明白な根拠などどこにもないことは少し考えれば分かることです。これらには統計的な事実すら全くなくつまらぬ迷信に過ぎないのです。無風快晴の日が何事にも最適であり、烈しい風雪に見舞われれば最悪というのが誰もが普通に感じることでしょう。干支(エト)は、まだ科学の目の乏しかった時代に、何とかして自然界の事物や現象を一見理路整然と(思える)ように構成しようともがいた易学者などが苦しまぎれにこじつけて考え出したもので、詰まるところ今では歴史的遺物に過ぎず事実とは一致するはずがないことは明らかです。「○○さんは申年生まれだから・・・・」などと生まれた年で性格を決めつける愚かさは同じ年齢でも人の性格が様々であることを思えば簡単に分かることです。

遠い昔は身の周りに起こる物事全てに対して神秘性を感じていた人類が、中世以降徐々に科学に通じる目でそれらを見るように
なり、現在では宇宙の構造から物質を構成する素粒子、生物の組織の多様な機能に至るまで知るようになりました。AIの進化はとどまるところを知らずやがては人間の分野まで席巻しかねない水準にまで達しようとしています。しかし、それでもなお科学で解明されたものは自然界の事物や現象のほんの一部に過ぎないと私は考えています。人間が持っている能力の高さには計り知れないものがありますが、それでも自然科学の成果は大自然に内在するものと比較すれば大海と芥子(ケシ)粒のようなものです。

とはいえ、やはり現代の科学技術は相当なものであり、人間の生活を画期的に変化させた功績は認めざるを得ません。このような現状の一方で、
まるで化石のような凝り固まった認識がいまだに通用していることが私には納得できないのです。午前午後のような使い慣れた言葉をそのまま用いるのは一向に構いませんが、遙かな過去に干支に割り振られた「事実とは無関係な怪しげな意味」を信じ込み、それに縛られて右往左往する時代錯誤の現象にはただ呆れ返るばかりです。

干支とも関係ありますが、
「縁起がいい」「縁起が悪い」という区別も私には不可解な言い回しです。単なる思い込みか昔からの言い伝えに過ぎないのではないでしょうか?実はへそ曲がりの私には妙なクセがあり、わざと人々が避けたがる数字を選ぶのです。子どもの頃に銭湯で選んだ下足入れは4番か44番でしたし、大人になってからもずっとそのような世間で「不吉な数字」と思われている数字に抵抗を感じたことは全くありません。単に発音がたまたま同じだからといって4が死に通じるなど有り得ないことは誰でも知っているはずなのに、なぜこだわるのでしょうか?もし本当に4が不幸をもたらす数字なら、なぜ子どもの頃に超虚弱だった私が90歳近い現在でも他の高齢者よりずっと元気で生きているのでしょうか?

ついでですが、私は新年の挨拶状をずっと自分自身の近況報告として書いてきました。一応冒頭には「新年おめでとう・・・」と書きますが、あとは過ぎ去った一年間の自らに関する出来事と政治や社会への思いを簡単にまとめ、形式的で無意味とも思える決まり文句は絶対に書きません。更に、ほとんどの人がこだわる干支関係の言葉や絵は決して使わず代わりに旅先で撮った写真を1,2枚添えます。150〜200枚の手書きはとても不可能なため、近況報告を印刷したあと数行のコメントを添えることで許してもらうことにしています。元号には非常な抵抗があるため、世界暦(いわゆる西暦)限定です。

不愉快極まる元号使用の押しつけ 

希望に満ち溢れ学問への道を目指して頑張っていた
若い私に突然襲いかかった悪夢、それがあの無謀極まる戦争でした。疎開先での言いしれぬ苦しみに始まるその後の不本意な数十年は、国に対する激しい怒りを胸に秘めながらも精一杯自分流を押し通すことで乗り切ってきたのです。それだけに、末期高齢者となった現在も無為に時を過ごすことなど勿体なくてできません。

このような経験を持つ身には、「昭和」という時代は決して懐かしむことだけでは済まない時代です。確かに昭和の頃は人々のつながりは現在とは比べものにならないほど濃いものでしたし、お互いを思いやり助け合う温かい気持ちをほとんどの人が持ち合わせていました。もちろん、いつの世もそうであるように中には巧妙に世を渡る術に長けている人々もいましたが、全体的にみれば戦後ならば美談として語られる程度のことは当たり前に行われていたのです。

しかしその反面、
世界の列強に伍していくことを唯一の目的としていた軍部は年々その力を強め、政治への影響力を増大させてついには無謀な戦争に国民を巻き込んでしまいました。この戦争は
310万人の命を奪っただけでなく、生き残った人々の人生をも大きく狂わせ、その後の生活の悲惨さは戦後派の人々には到底想像することさえできないものでした。

このような歴史的背景を考えるとき、私には昭和をただ懐かしむ気にはとてもなれないのです。確かに子どもの頃の一時期には忘れ得ぬ楽しい思い出もありますが、十代の後半から30代の半ばまでに味わった心身の苦しみは忘れようとしてもとても忘れられるものではありません。

私は日頃から元号を使用せずいわゆる西暦(事実上の世界暦)に限定しています。しかし、残念ながら公文書等では元号に限定されている場合があり、やむを得ず不愉快な思いをしながらそれに従います。私が元号というものに対して強い反発を感じる理由は、決して昭和の時代に対する辛い思い出だけではないので、またまた人々が最も嫌う理屈を言わなければなりません。

戦前の日本は神(現人神=アラヒトガミ)である天皇の治める国であり国民は全て天皇の赤子(セキシ)とされていましたが、現在は憲法で規定されている通り主権在民の国へと180°転換をしています。つまり、日本の国は天皇ではなく国民が主権を持ち、選挙で選んだ国会議員に国の運営を代行させている訳です。私が問題にしたいのは、このような国家体制の激変にもかかわらずなぜ明治以来の天皇中心国家を象徴する元号制度をそのまま踏襲しているのかということです。

元号は極端な言い方をすれば天皇家の暦です。このことから考えても、元号の使用を国民に強制するのは不合理としか思えません。国の機関では公文書は元号による表記と決められているようですが、納得がいきません。

いわゆる
西暦は現在では世界のほとんどの国々で通用する表記になっています。たとえその起源がキリスト教であっても、このように国際化が進行した現在では明らかに「世界暦」の立場を獲得していると言えます。まさか今の世で「西暦は毛唐の暦だから気にいらん!」などとのたまう石頭はいないでしょうが、国内だけでしか通用しない暦よりは広く世界で通用する暦の方が良いに決まっています。換算が面倒・・・というのは二次的な問題であり、主権者が国民であるという点からみて元号優先は間違っていると言いたいのです。

最近の紙上に新元号選定の問題が載っていました。その手続きの煩雑さはなるほどと思わせますが、やはり元号の起源は古代中国で「皇帝が時を支配する」という思想のもとで使われ、日本では「天皇中心の国造りを進める象徴」との意味合いがあったとされています。
世論調査によると日本人の75%は元号に抵抗がないようですが、ある種の郷愁も関係しているのかも知れません。あまり先のない私ですが、これからも元号にはできるだけ距離を置いていきます。

 
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 無名人の独り言 52  (こんな人物が世を仕切っている現実)      (2018.3.1 記)
ライフル協会とユダヤロビーの操り人形がまた・・・ 

アメリカでは半ば年中行事のようになっている銃撃事件がまた起きてしまいました。銃の所持が憲法で権利として認められている前近代的な国であり、町中で堂々と銃、それも戦争でも十分使用できるほどの高性能な銃が売られている有様は、日本人には全く想像外のことです。

今回は、起こった事実に加えてあの史上最悪の大統領の発言に開いた口がふさがらない思いを抱いた人が多かったのではないかと思います。
「教師が銃を持っていれば、犯人の射殺で大きな事件にはならなかった筈だ」というのですから、このような事件が頻発する原因に対する正しい認識など全く持ち合わせていないことは明白です。

ヨーロッパから移住した
白人は、新大陸を東から西へと勢力を伸ばすために、先祖から受け継いだ土地と生活を守ろうと抵抗するインディアンなどの先住民族を情け容赦なく虐殺することで目的を果たした訳ですが、そうした白人による侵略の過程は「西部開拓史」などとして美化され一世を風靡した西部劇の形で映画にもなりました。しかし、この出来事は裏から見れば明らかに「西部殺戮史」であり、
南米大陸でインカの人々など2000万人を虐殺したと伝えられるスペイン人にも劣らない白人本位の野蛮な行為にほかなりません。

今なお大多数のアメリカ人が頑なに唱える「銃の所持は我が身を守るために不可欠」という主張は、恐らく現在は遙か彼方に過ぎ去った西部“開拓”期の実体験に基づくものでしょう。
それに
ビジネスが絡み更にビジネスを通して政治にまで大きな影響が及ぶようになってしまった今、悲劇が何度繰り返されても銃規制への道に踏み出す政治家は現れないように思います。

たださえ
知性に欠け正確な状況判断や物事への対応ができないトランプ氏は、アメリカの政治を左右する全米ライフル協会や金融界を牛耳るユダヤ系には頭が上がらないはずです。従って、今回のような場合でも決して彼らの機嫌を損ねることはできません。アメリカオンリーを公然と唱えて登場したこんな人物に世界中が振り回される先には、果たしてどんな未来が待っているのか怖ろしくなります。

 様々な疑惑を抱えてもビクともしない「安定政権」

トランプの信頼厚い飼い犬、そして自らに忠実な取り巻きを集めた内閣府を先兵に官僚組織を思うがままに操縦してきたあの独裁者は、多くの国民の不信をよそに今日もまた数の力で問題法案の成立を目指しています。森友・加計とも肝心の所は何一つはっきりさせず、疑惑の大元である佐川氏も昭恵夫人も国会に招致する気配は全くありません。もちろん、彼らの招致は真相を世にさらすことになり政権の屋台骨を揺るがしかねないからです。

メディアの立場では、彼の心中にまで踏み込んだ論評は憲法に定められている思想信条の自由から難しいのでしょう。それをよいことに、
彼は政治権力を縛るための存在であった憲法を至極簡単に無視して安保法の改定を果たし、それを突破口に次々に自らの思う方向に国の形をねじ曲げていこうとしています。

籠池問題での税金の無駄遣いは確かに大きな問題です。しかし、私はあのような
教育勅語を肯定する戦前回帰の教育を幼児に対して行っていたことに対する安倍夫妻の反応に大きな疑問と危険を感じるのです。明らかに憲法や教育基本法にはそぐわない教育方針を支持し賞賛するばかりか、義務教育段階での継続を望ましいとするなど、国政を預かるという一般の人々とは明らかに立場の違う身にありながら事の重大さに対する認識が全く欠けています。

彼の政治手法が際だって強引であることはもはや明らかで、ほとんど全ての問題で野党からの問題点の指摘や質問にまともに答えたことはありません。自らヤジを飛ばし薄ら笑いを浮かべるなど、最終的には数の力でどうにでもなるという奢りが見え見えです。口先では「丁寧に・・・」「謙虚に・・・」などと言いながら、実際には空疎な言葉の羅列で責任を取らず、やたら早口でまくし立てる様はどう見ても「雄弁」ではなく「ただの駄弁」です。結局の所、あの男には誠意もなければ反省もなく、あるのはお友だちへの奉仕精神と権力志向だけです。
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  無名人の独り言 25  (戦争とは無縁と思い込んでいる戦後派の人々に)
                                                   (常時掲載) 
                                                            
ゲームや映画では見ていても実際に戦争を経験していない人々には、私がなぜこのように安倍政権を危険視するか中々分からないと思います。そこで、いくつか述べてみることにします。

  
ここに注目!!

 @ 
戦争は一般の人々が起こすのではなく、例外なく時の権力者の主導によって引き起こされるのです。
 A 
戦争はいきなり起こるものではなく、必ずかすかな前兆から始まり徐々に確かな形になっていくのです。
 B 
情報を隠したり積極的に人々に伝えようとしなくなるのは、やがて戦争へとつながる危険な兆候です。
 C 一旦
戦争が起きてしまえば人々は否応なく巻き込まれ、反対や抵抗は事実上不可能となります。
 D 
戦争で犠牲になるのは常に一般の人々で、自由は剥奪されて権力者の道具とされます。
 

このように書いても、
戦後の平和憲法下でぬくぬくと(失礼!でも事実!)生きてきた人々は「まさか戦争なんて!」と一笑に付してしまうかも知れません。あの国会前での抗議集会のときにも「戦争なんて起こる筈がないのに、何を大げさに騒いでいるんだ!」という意見の人が少なくありませんでした。デモ行進をしてもそれに共鳴する雰囲気はあまり感じられず、見方によっては冷ややかとも受け取れました。

しかし、多くの知識人や憲法学者、元自民党の有力者たちまでがこぞって反対した集団的自衛権容認を突破口とする
安倍一派のやり口には、太平洋戦争の経験者の目には戦前の日本を彷彿とさせるものがあるのです。国民の目と耳をふさいで物事の真実を知られないようにしておき、その裏でどんどんと戦争への道を進めていったのが当時の軍部が事実上独占していた政府です。国の動きに少しでも疑問を抱く言動には厳しい統制と国家権力による迫害処罰が行われるため、一般の国民が声を挙げることなどは到底無理な時代だったのです。全体主義の世の中は現在のような有り余る自由を手にしている世の中とは異次元の世界であり、とても比較にならない厳しい環境を強いられた時代なのです。

現在はまだ形の上では民主主義の時代であり、人々はどんなことでも自由にものを言ったり書いたりできます。こうして政府やお偉方の批判も自由にできます。何事でもそうですが、普段何の制約もなくできることはいつしか当たり前のように思ってしまい、それがどんなに貴重なことなのか意識せずに過ぎてしまいがちです。

同じ「戦争」と言っても、
太平洋戦争は日本が自ら起こした戦争であるのに対し、私が今ここで強調したい「戦争」は「アメリカがいつか起こすであろう戦争に巻き込まれる形での戦争」です。広い意味ではもう既に「新しいタイプの戦争」であるISを筆頭とするテロ集団による攻撃に日本も巻き込まれているのです。2020年のオリンピックは果たして無事でしょうか?オリンピックはテロリストにとってはまたとない美味しい標的です。テロは攻撃する側が絶対的に有利な立場であり、いつ、どこで、どんな方法で実行するかはテロリスト側が自由に選ぶことができるのです。しかし、防御する側はいくら事前に対策を強化しても限界があり完全に防ぐことは不可能です。最近世界各地で起きているテロを見ればそのことは容易に理解できると思います。

現在進行中の日本近辺でのアメリカと北朝鮮のにらみ合いも、ちょっとしたきっかけで熱い戦いに変わる可能性は決してゼロではありません。「まさか戦争にはならないだろう」という楽観的な見方に頼りたいのは人間の心理に違いありませんが、そう言い切れないのは人間には時には理性を凌いでしまう感情という厄介なものがあるからです。

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 以下の項目は常時掲載します 

 
私が生きてきた時代 (戦前・戦中・戦後)

戦後70年を過ぎた今、あの戦争が日本にどのような影響をもたらし戦後の日本が戦前や戦中と比べてどう変わったかを知っているのは、実際にその時代を生きて戦争を肌で体験した私のような
80代半ばを過ぎた人間だけになってしまいました。敗戦を境にそれまでの國のシステムの大半が占領軍の命令によって強制的に変更され、それまでの日本に存在したものは根こそぎ捨て去られたのです。敗戦後の混乱の中では、捨て去るべきものと残しておくべきものを取捨選択する余裕など、最低限必要な食料さえ手に入れるのが容易ではない厳しい日々を生き延びるのに精一杯の当時の人々にはとてもなかったのでやむを得ないことだったかも知れませんが、その結果、それまでの(一般の)日本人の生き方の全てが否定され、自然との調和を大切につつましく生きる中で育まれてきた多くの美点までも、そのほとんどが価値いかんにかかわらずエイッとばかり惜しげもなく捨て去られてしまったのです。そして、私の目には必ずしももろ手を挙げて歓迎できるとは思えないモノカネ第一のアメリカ風の生き方をひたすら追い求めることが、多くの日本人の目標とされるようになってしまいました。

戦前の日本は軍備に国家予算の過半を費やして世界の列強に伍することを最大の目標としていました。そのため、一般国民の生活水準は特権階級を含む豊かな一部の人々を除けば決して高くはなく、文明国の中ではどちらかと言えば低い方に属していたように思います。当時の世界で図抜けて豊かだったアメリカと比較すれば文字通り天地の差と言っても過言ではありません。明治維新までの長い鎖国で後れを取った欧米各国に追いつこうと焦った日本は、以後の
國造りの基本を天皇を中心とする「忠君愛国」を精神的支柱とした「富国強兵」政策に求めました。そうした最終段階で、政治への影響力を強めたのち遂に政権を手にした軍部(特に国際事情に疎い陸軍)が、バランス感覚を失って暴走したあげくあの無謀な戦争に突入した時期に、ちょうど私の一度きりの人生が重なってしまったのです。多少の浮き沈みはあっても普通に考えられる生活を送ってこられた戦後生まれの人々に理解してもらうのはかなり難しいことですが、一度きりしかない貴重な人生をこうして根底から覆されてしまった私は、プロフィルにもある通りこのような国家の手になる重大犯罪に対する怒りが収まらず、ずっとその思いを胸にたぎらせて現在までの日々を送ってきたとさえ言えるのです。

戦禍で都市は至る所が廃墟と化し美しい山野に覆われていた日本が見る影もなくなってしまったのち、生活苦に喘ぎながら懸命に働いて復興に汗を流したのは私たちの世代ですが、このことは今ではほぼ完全に忘れられています。高度経済成長の立役者となったいわゆる団塊の世代が活躍できるための基礎工事をしたのが私たちの世代であるのにもかかわらず、ほとんど評価されないという空しい立場なのです。例の竹中氏などは絶えず「高齢者の増加が高額の医療費や年金など社会保障費を押し上げて国の経済を圧迫し、現役世代や若年層に大きな負担をかけている」と私たちの世代を標的に攻撃(口撃)55年体制下で繰り返されたその場凌ぎのばらまきや箱物行政など、未来への予見を欠いた選挙目当ての政治が本当の原因であることへの責任には全く言及しなかったのです。昨今大きな問題になっている少子化も、そしてもちろん高齢化もとうに予想できた筈なのに、長期の対策をきちんと立てずに、ひたすら自分たちの内輪もめや金脈探しにうつつを抜かしてきたのが自民党でした。こうしてstatesman (本物の政治家)ならぬ politician (党利党略に長け私利私欲を追求する政治屋)は、自分たちの政治の失敗を世代間の対立という構図に見事なまでに転嫁してしまいました。彼らの本心を推測すれば、私たちのような国の経済に貢献せずやたらカネを食う厄介者は、絶滅危惧種とは正反対の「絶滅期待種」なのでしょう。このように長年働いて社会を支えてきた人間を粗末に扱う「恩知らず社会」と化してしまったのはとても悲しいことです。

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私のホームページ作り
 ホームページを作ったきっかけと、その後の経過

私がこの
ホームページを作ろうと思ったきっかけは若い友人の何気ない一言でした。私は1994年頃から旅行プランを自力で作るのが当たり前になっていましたが、あるとき偶然スイス旅行の細密なプランを彼女に見せたのです。そのときに彼女が口にしたのが「このようなプランの立て方は滅多にないので、もっと大勢の人々にも知ってもらう方がいいですね?」という言葉だったのです。そのときはさほど気にも留めなかったのですが何年かののちに突然これが頭に浮かび、そのためにはどうしたらいいかを考えるようになりました。

そこで思い付いたのがホームページですが、旅行プランだけではあまり意味がないので、いっそ旅行写真を公開しようということになりました。以前から写真だけはきちんと整理してあったので、何とかできそうに思えたのです。ただ、
このとき既に72歳で、本式にプログラム言語などを身につけてからサイトを作るのではあまりにも遅くなってしまいます。

幸運なことに、この頃ちょうどホームページビルダーが発売され、「よし、ひとつこれを使ってホームページを作ってみよう」ということになりました。
「何でも他人に頼らず自力で・・・ 」が私の流儀でもあり、マニュアルと首っ引きでページ作りに励みました。その甲斐あって、200416日に初めてのサイトをアップすることができたのです。ほんの15枚のサムネイル画像でとてもお話しにもなりませんが、自分の作ったページがインターネットに載り、それを大げさに言えば全世界の人々が見ることができるという事実には正直興奮を覚えました。

回を重ねるごとにサイトを構成するページが増え、掲載する内容も海外旅行の写真だけだったのが国内旅行の写真も加えるなど、ホームページビルダーへの慣れもあって順調にサイトの充実を進めてきました。途中でしばらくの間外国人向けに英語ページも作ったのですが、これは失敗でした。諸外国からの怪しげなメールが激増したのです。結局、
未練はあったものの英語ページは年間ほどで閉じてしまいました。

お気づきでしょうが、
私のサイトにはCMが全くありません。あるのは検索サイトと素材等でお世話になっているサイトのバナーだけです。山、旅、鉄道、写真をメインに作ってあるのが私のサイトなので、その雰囲気を壊してしまうCMは絶対に入れたくないのです。私のCM嫌いは昔からのものですがとにかく徹底しているのです。今では番組の前後に限らず途中でものべつ入るのが当たり前になっているTVコマーシャルは、一つの番組を通してきちんと見せる本来の使命に背くものだと思っています。保存したい番組の場合は一旦録画しておいてCMを削除してからDVDにコピーしておきます。

少し脇道にそれてしまいましたが、こうして作られた私のサイトには普通のサイトとは違う点がいくつかあります。先ず、
更新回数が非常に多いことです。2004月にホームページを立ち上げてから2007年末まではヶ月半毎、2008年から2015月までは毎月日に更新してきました。トップページにも書いてありますが、数千枚の写真を一度には掲載できないので、数回(現在は回)に分けて掲載するからです。プロバイダーが変わってディスク容量が大幅に拡大し一度に掲載できる写真の枚数が飛躍的に多くなったため、閲覧期間を延ばす必要からヶ月毎の更新にしました。これまでの百数十回にのぼる更新の都度、少しでも良いサイトにできないかをいつも意識して改善に意を尽くしてきた結果、何とか見られるものになったのではないかと思っています。私にとってホームページの運営は今では生き甲斐の一つにもなっているので、「頭の上にリングが浮かぶ」まではこのサイトを少しでもよいものにしていく努力を続けていくつもりでいます。

一部のページを除けば、各ページの左端に並ぶミニ画像(親指の爪文字通りのサムネイル)一度のクリックで拡大画像
(600×450 or 450×600 pix)が見られるようにしてあります。このことは同時に写真を用意する手間が普通の場合の倍になることを意味しますが、因果なことに私はこの種の細かい作業は一向に苦にはならない変わり者なのです。

BGMとして使用している曲は、有名な名画「サウンド・オブ・ミュージック」の中でナチスに抵抗するトラップ大佐が、ナチスドイツに併合される祖国オーストリアの悲運を想いそのシンボルとして歌っている「エーデルワイス」です。日本でも早池峰山などに同種のウスユキ草が咲いていますが、ヨーロッパアルプスの雰囲気が何よりも好きな私にとって、それを身近に感じさせてくれるエーデルワイスの花を讃えるこの曲はBGMとしては願ってもないものなのです。
 
  多くのサイトに接して気付いたこと

色々なサイトを閲覧すると参考になる点も多くあることは確かです。その反面、必ずしも見やすく構成されているとは言えないサイトもあります。また、
CMだらけで主題が何かが分からない状態になっているものもあります。突然にサイトが見られなくなることもありますが、このようなときは、URLが変更になったのか、それとも管理者がサイトを閉じたのか分かりません。

私がずっと利用してきた
OCNPageON(ホームページ掲載サービス)が2015月で終了になるため、プロバイダーをBizメール&ウェブに変更した結果、当然のこととして私のサイトのURLが変わりました。そこで、検索サイトと相互リンク先へその旨を連絡したのです。検索サイトのYahooはすぐにURLを変更してくれました。ところが、相互リンク先については様々な問題が見えてきたのです。

URLの書き換え依頼メール(メールがないサイトには掲示板で)は、月上旬にそれまで相互リンクを結んでいた68サイトに送りました。しかし、それからのヶ月間に書き換えてもらえたのは24サイトだけです。現役の人々の多忙さももちろん大きな理由だと思いますが、他にも見えてきたことがあります。一つは更新回数が少なくメール(掲示板も)に目を通す機会がない場合です。中には最後の更新が年以上も前のままのサイトもありました。また、メールアドレスが変わったのか連絡のしようがないサイトもいくつかあり、この場合は諦めるしかありません。リンク集があるはずなのにクリックしても表示されないサイトや、とてもきちんと作られたサイトなのに「リンク集」と書いてありながらそこへのリンクがされていないサイトもありました。

これらの現象の底流になっているのではと思われるのは、
「自分の作ったサイトに対する関心(注意)」が薄れているのではないかということです。どんなに簡単なサイトでも、一旦インターネットに上げればそれを不特定多数の人々が見る訳でいつも責任を持てる状態に保つことが大切だと思うのですが、間違っているでしょうか?今やスマホ全盛の時代になり人々の関心がそちらに移っているようにも見えますが、パソコンにはそれなりの長所もあるのです。自分のサイトには責任を持ちたいものだと思います。
 
 
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 人生の終末期を迎えて 私の実践

今でこそ終活という言葉が一般的になり人生最後のまとめに目を向ける人々も徐々に増えてはいますが、私の場合はずっと早くからそのことに気付き少しずつ準備を進めていました。ただ単に年をとり弱って気力も体力もなくなって消えていくのではやりきれないという気持ちもあって、男性の平均余命である80歳に近づいた2007年頃から現実に終末期にある一人の人間としての活動を始めたのです。以下、順を追って私の実践を紹介します。
 
 墓地関係の処理
 
核家族化が進んでいる最近は墓地をどうするかも大きな問題になっています。私の場合はずっと市営霊園(永年使用)を借りていたのですが、思い切って2010年に駅近くの納骨堂を借りることにしました。家名の代わりに梓川河畔からの穗連峰の風景と大自然に身をゆだねる趣旨の詩を刻んでもらいました。伝統的な墓石のデザインへの抵抗感の他に、将来子や孫にも使えるようにという意味もあったのです。

 自分史作成のための資料収集
  
メディアが一挙手一投足を夢中になって取り上げる有名人ではなくても、
一人の人間が数十年を生きて過ごすことはそれなりに意味があることです。一生の間には様々な出来事がありそれぞれに対する喜怒哀楽の思いがあります。それらを自分なりにまとめてみたいと思い立ったのが自分史作りへのきっかけで、2009年頃から構想を練り始めました。

まず最初に取りかかったのは、自分自身や家族の写真を探して整理することでした。戦争に伴う疎開やら何回も経験した引越しなどで子どもの頃の写真は数える程しかなく、奇跡的に残っていた誕生直後の写真以外はごく限られた時期のものだけでした。それでも、それら
何十年も昔の色あせた古い写真をスキャナーで取り込み編集ソフトで加工すると、何とか見られるようになったのはとても嬉しいことでした。

次に手がけたのは、少年の頃を過ごした東京の街を歩き回ってゆかりの場所(旧住所や小学校、通学路、遊び場、父の勤務先など)を訪れてそれらの現在の姿をカメラに収めること、そして同じように疎開時に過ごした田舎のあばら屋や小学校、(旧制)中学校とそれぞれへの通学路の現在の姿などを撮影して、数十年前と比較できるようにすることでした。どちらの場合も、歩きながら遠い過去の出来事や情景などを思い起こすことが多く、懐かしい子ども時代に帰ったような気分に襲われることも少なくありませんでした。

また、各種の賞状や修業証書、卒業証書、通知表、旧制高等学校の受験票など残っているものは全て探し出してスキャンし自分史を書くための資料として使えるようにしました。更に、退職後に学んだ大学の単位修得状況一覧表と卒業証書・学位記、英語検定の合格証書、
TOEICの成績表、健康診断・血液検査のデータ一覧表(自作)など、学業関係と健康管理関係の全ての資料もスキャンしました。

国内、海外の旅行やハイキング、町歩き関係の写真や関連資料はその都度パソコンに取り込み編集してあるため、ほとんどはそのまま利用できるようになっていました。
 
 自分史「ハイマツの記憶」の編集と印刷、製本
 
自分史を作る場合普通は原稿を作ってからは全て業者に任せることが多いようですが、それでは自分の思い描く通りのものには必ずしもなりません。そこで、
写真や図表も含めて全てを自力で入力して編集し、更に印刷も使い慣れた自分のプリンターを使って行いました。こうすることで、写真や図表の配置も含めてページ毎の体裁を自分の好みに合わせることができますし、ページ替えも不自然にならないようきれいにできます。手間がかかり大変であることは確かですが、自分が描いたイメージで思い通りの印刷物が出来上がります。ただ、製本だけは業者にお願いしました。120ページほどになったので自分で製本するのは無理があり、わざわざ大きなホチキスを買っても他には使い道がなく無駄になってしまうからです。

原稿の作成には
ヶ月ほどかかりました。純粋理系の私のことで文章力には全く自信がなく、文章の吟味や推敲にはかなりの時間をかけました。難しかったのはやはりページ替えで、写真や図表と文章との位置関係、文の内容の切れ目などに気を配りながら無理なく自然な流れになるようにしなければなりません。もちろん、誤字や脱字にも目を光らせますが、ページ替えに関連して内容を変えずに表現を工夫し伸ばしたり縮めたりしてうまくページに収まるようにするのは中々難しいものです。

私の場合、自分史はどちらかというと娘たちよりも孫たちに読んでもらうつもりで書きました。戦争を全く知らず生まれながらにして物の溢れる時代に生きてきた孫たちに、
戦争というものがどれだけ人々を苦しめたった一度の人生を破壊する理不尽なものであるかは、実際に経験した私などの世代が是非伝えなければならないと思うのです。

因みに、自分史のタイトルは散々迷った末「ハイマツの記憶」としました。ハイマツは日本アルプスの
2500m以上の高所で、強風や豪雪に耐えて生息する強靱な植物で、このような自然環境のため人里離れた高山の斜面や稜線にへばりついてじっと耐えている植物です。その姿に人混みを避けて静寂を求める私の習性や戦前、戦中、戦後のつの時代を生き抜く間に様々な困難をくぐり抜けてきた私の人生との共通点を見いだせるように感じたのです。

内容は前編と後編に分けてありますが、それぞれの項目は次のようにしました。

「前編」 =激動の時代の波に翻弄された人生を振り返って=
   @系譜(簡単な家系図)   A先祖と家族、親類縁者のこと   B 戦前と戦後の学校制度の比較
   Cこの世に生を受けてから東京を去るまで    D不本意な田舎暮らしの始まりから小学校卒業まで 
   E旧制中学校入学から日本の敗戦まで    F日本の敗戦から中学校卒業まで 
   G中学校卒業直前の悲劇(父の死)      H小学校から中学校までの学業関係の証書等 
   I○○○○世界に生きた42年 ← (在職中の記録)

「後編」 =退職後の生活を充実させた活動を振り返って=
   J人間らしく生きるための健康管理   K学問の世界への回帰・放送大学   L英会話能力の強化
   M科学技術の成果の活用       N音と映像の世界(音楽への傾倒、映像メディアの活用) 
   O自然との対話を求めて(登山、トレッキング、ハイキング) 
   P〜S退職後の旅(日帰りのハイキングと軽登山、日帰りの町歩き、泊まりがけの国内旅行、海外旅行)

Bは、特に
「中学校」と「高等学校」が、戦前戦中と戦後では名称が同じでも年限や中身が全く異なるので、混同して受け取らないように設けました。また、O〜Sは、現在のホームページに掲載している画像からそのごく一部を抜粋したものです。

こうして出来上がった「ハイマツの記憶」は、今はまだ孫たち(高
,高,小)には時間がなかったり読むのが難しかったりでしょうが、やがては少しずつでも理解してもらえることを期待しています。

また、これとは別に
「別冊」(全16ページ)として、戦争に関わる世の中の実態と変化を一覧表にまとめて孫たちに与えてあります。戦前から戦後に至る激動の数十年間を「太平洋戦争の開戦まで」「太平洋戦争中」「敗戦直後の数年間」「平和条約締結後」とつに分けて、それぞれの時期の日本社会の姿を背景とともに比較できるようにしました。今ではもう孫たちに歴史を教える先生方も戦前から戦後への実際の姿は知らず、単なる表面的な知識の伝授になりがちではないかと考えたのが、この別冊を作った目的です。

前書きとして、「私が生きてきた時代」「戦争、愚かな人類のやめられない愚行」「太平洋戦争に関して」「全体主義と個人主義」「歴史認識についての尽きない疑問」をまとめ、そのあとに上記の
つの時代の比較を「国の体制と政治状況」「産業と経済の状況」「軍備と戦争の状況」「一般国民の暮らしの状況」「家庭・家族と地域社会の状況」「子ども社会の状況」「子どもの教育環境」「モラルと治安の状況」のそれぞれの観点からできるように、実際に見たり聞いたりした具体的な事実とそれに対する私の思いを加えて箇条書きで示しました。
     
 「終着駅への道しるべ(あとに残る者のための備忘録)」の作成
 
いまなお死に関する話題に触れるのを嫌う人が多いのは事実ですが、私には全くそのような気持ちがありません。人間にとって死は避けることのできないことであるので、財産の有無にかかわらず生きている間、それも元気なうちに、あとに残る者たちが困ることのないよう周到な準備をしておく必要があると思い、「終着駅への道しるべ」と題する冊子を作りました。2007年に最初の冊子を作り、以後は変更箇所があるたびにその部分を修正する改訂を行ってきました。

内容は、土地家屋の権利証はもちろん、年金関係、健康保険関係、民間の生命保険や損害保険、預金関係、その他の重要書類のそれぞれについて、種別や番号、取り扱い会社や代理店など連絡先、その他のデータの詳細を記入してあります。それらの書類等の所在もはっきり分かるように書き添えておきました。 常時身に付けているもの、非常持ち出しリュックに入れてあるものなどに分けてあります。

「遺言書、尊厳死宣言書」の作成 
 
財産と言えるほどのものはない一庶民ですが、一応遺言書を作りました。自筆で形式を守り日付や押印のほかどんな点に注意すべきかを調べてから書きました。

今の時代、かなり大切になるのは尊厳死宣言書だと思います。たとえ植物状態になっても積極的な手段で患者を死に導くことが医師には許されていない以上、何らかの形で本人の意志が明確に示されていることが必要です。私の従妹の中にも、姉が脳梗塞からやがて植物状態になってもそのまま入院を続けさせるほかなく、点滴等で栄養だけは補給されるため本人には全く意識がない状態にもかかわらず年間生き延びた例があります。このような姿が果たして人間の尊厳を維持していると言えるのかどうか非常に疑問を感じます。また、医学の進歩とはこのようなことのためにあるのかどうかも・・・。

そこで私は、正式な書式を調べた上で尊厳死宣言書を作りました。強調点は簡単に述べると次の
つです。
    @私が病で重篤な状態になり回復の見込みが全くない場合は、単なる生命維持のための治療はせず苦痛を軽減するための処置のみにとどめること。
    A私が植物状態に陥ったときは速やかに生命維持装置を取り外すこと。

本人の意志がこうして明確に示されていれば、残された者たちも(そして医師たちも)決断がしやすくなるでしょう。

「 死後に必要な処理事項とその手続き」の作成
 
一人の人間が亡くなったあとその人に関わる様々な事項の処理をどのようにするかは残された者にとっては決して簡単ではありません。「夫が亡くなったが、何がどこにあるか全く分からなくて困っている」というような話はよく聞きます。そうしたことのないよう、
何をどんな順序で行わなければならないか、その際はいつまでにどんな手続きをどこでするのかなどをできるだけ具体的に細かく示しておくことが必要です。私の場合は次のような内容になりました。

先ず預金の引き出しと葬儀社への連絡 、死亡届の提出、関係者への死亡通知、年金支給機関(元勤務先関係と厚生労働省年金局)への死亡届け出、口座からの自動引き落としの停止届け出(私の場合はインターネット関係とスマホ関係、保険関係)などが緊急を要するものでした。あとはさほどの緊急性がないもので、死亡保険金の請求、公的証明書等の処理、土地家屋の名義変更などです。

「死後の処置に関する希望」の作成 
 
私自身としては当初は医学の進歩に貢献するよう献体を考えていましたが、色々と調べた結果不適当なことが判明して断念せざるを得なくなりました。しかし、死後の処置についてはいくつかのこだわりがあり、それを文書の形にして残すことにしたのです。内容は、基本的な考え方と具体的な手順やそれに伴う諸々の事柄になります。

まず、
基本的に無宗教の立場に立つことが最も強い希望です。今やほぼ完全に”葬式仏教”と化したことへの反発から、仏教に関係することは極力避けることを特に強調しました。葬儀はできるだけ簡素に内輪で行って会葬も香典のたぐいも一切辞退し、知人にはあとから葉書で知らせることにしてあります。

具体的な手順は時系列で示しましたが、それを作る前に
数回は葬祭業者と打ち合わせて細かい部分まで確認を済ませてあります。当の本人が細部にわたって質問するのに先方は当惑していましたが、私にとっては何の不思議もない至極当然のことなのです。死は不吉なことではなく全ての人間の終着駅なのですから。

打ち合わせで確認したのは、祭壇の種類、霊柩車の車種をはじめとして骨壺のような細々とした物品の選択、式場設営の形、式次第(流れと担当者、内容)等で、
全て私自身が考えたプランを示して業者の了解を得たのです。BGMも私が作ることにしてあります。

位牌は作らず写真を飾ればよいと思います。また、仏教でよくある追悼行事は一切望まず、適当な日に集まって食事会でもする方が有意義だというのが私の考えです。

最後に遺品の処理についての希望を書きました。機器類や様々な資料、書籍等の中には十分役立つ物が少なくないので、無駄にならないようにということに尽きます。 


こうして
最近やっと話題になってきた「終活」を終えてみると何かをやり残した感じがなくなったような気がします
「これからはいよいよ本当の老後だ」という気持ちになり、何ものにも縛られず安心して自由に行動できます。 

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