無名人の独り言・メールコーナー

このページには、私が日頃思うことを
随時書きたいと思います。
  
各項目へ   無名人の独り言 50 (前途多難が必至な年を迎えて思うこと)
無名人の独り言 49 (罰当たりの単細胞が問う不可解な慣習)
無名人の独り言 48 (アメリカに楯突く国際社会と飼い犬の悲哀) 
 無名人の独り言 47 (人間の心を失った卑怯な行いへの怒り)  
 無名人の独り言 46 (勝手気ままが何より得意な東西の二人) 
無名人の独り言 25 (戦争とは無縁と思い込んでいる人々に)
   以下の項目は常時掲載します。
       @ 私が生きてきた時代(戦前・戦中・戦後)
       A 私のホームページ作り            
        B 人生の終末期を迎えて・私の実践  
    メールコーナー (感想・意見をどうぞ) 


※ わざわざ「無名人」としたのは、有名人の言動にのみ過度に反応する世の風潮への大きな疑問からです。



無名人の独り言 50  (前途多難が必至と思われる年を迎えて)  (2018.1.7 記) 
もはや風前の灯となった平和憲法
                                              
年頭にあたって得意満面の独裁者が掲げた目標「憲法をあるべき姿にする」ということでした。一体彼が言う「あるべき姿」とは何を指しているのでしょうか?一応は「国民主権、基本的人権、平和主義の基本理念は変わらない」と述べてはいますが、彼が昨年まで度々行ってきた問題法案の強行採決や不誠実極まる言動などからみて、この言い分を頭から信頼など到底できる筈もありません

そもそも、現在
多くの民主主義国家が持っている憲法の源流は、800年前にイギリスで制定されたマグナカルタであると言われています。そのマグナカルタに与えられた最も重要な役割「王の権力を縛って勝手なことができないようにする」ことでした。権力を持った人間はとかくその権力におぼれて勝手放題をするようになりがちなことは、古今東西の王や皇帝などだけに限らず現代の多くの権力者や組織にも多々見られます。

ほとんどの人間は何らかの分野で他人より優位に立つことを目指しますが、中でも私の表現では「名刺を黒く塗りつぶす」こと、つまり「世間に誇れる高い地位を手にする」ことを目標とする人が多数派を占めるようです。しかし
元々不完全なのが人間という生き物であり、社会的地位が高いからといって人格、識見などまで立派であるとは限らないことは周知の通りです。このことが最近頻発する大企業の不祥事の遠因とも言えます。

政治の世界でもそれは同様であり、
昨年メディアを騒がせたおよそ政治家とは言えない品性下劣な「政治屋」たちの恥ずべき言動の根底には、
「自分は(バッジを胸にした)特別な人間だから、お前たち有象無象とは違いとても偉いのだぞ」という意識が強く働いています。地方議員までがそれを真似て横車を押す笑える場面もありました。独裁者の場合はさすがに国を預かる立場上一応の体裁を整えてはいますが、正当な手続きを経た質問にまともに答えずヤジを飛ばしたりはぐらかしたり、内閣府を恣意的に動かしてお友だちに便宜を図ったりなど、どんなに証拠隠滅を企てても裸の王様同然の醜態をさらしています。それでも彼が安泰でいられるという事実が、民主政治の形骸化を招いてしまった現制度(不合理を絵に描いたような小選挙区制)の大き過ぎる欠陥を示しています。

しかし、
そのような人物を首相に祭り上げてしまったのは他ならぬ私たち国民であり、その点ではあの気まぐれで理性とは無縁なカネの亡者を大統領に選んで、世界中を混乱の極に陥れてしまったアメリカ人と同列です。今やこの国の将来を思うままにできる力を握った安倍独裁政権は、少数派の批判勢力などいとも簡単に蹴散らし圧倒的な数の力で憲法
条の改変に突き進むことになります。

数百年前までの
お上意識からいまだ抜け出せずにいるこの国の人々は、安倍政権が平和憲法を包囲するために成立させた関係法案の影響を受けて、知らず知らず遠慮がちな言動に変わることが考えられます。唯一自由な政治批判の役割を担うはずのメディアには脅しをかけ、その効果は既にいくばくか現れているのではないかとさえ思われます。

こうして
憲法が歴史の逆転を望む勢力の思うがままに改変され、近い将来その影響が様々な形で及んできてから気付くのでは遅過ぎるのですが、政治には無関心でオリンピックや芸能人のスキャンダルへの興味で頭がいっぱいの人々が多い現状では望み薄ですね。

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無名人の独り言 49  (罰当たりの単細胞が再び問う不可解な慣習)   (2018.1.1 記) 
再び、現代社会に根強く残る不可思議なもの、干支(エト)に関して
                                               
日本人の多くは政治についての話題を避けたがり、また理屈をこねる人間は嫌われたり煙たがられたりしがちです。自分の考えを押し殺して周りに合わせることが何よりの美徳で、それができない人間は子どもの世界でも組織など大人の世界でも孤立することになり易く、それが学校や職場でのイジメを生み出します。困ったことに私は孤立を恐れる気持ちを全く持ち合わせず、不正や理屈に合わないことには徹底的に抵抗する偏屈な人間なのです。このページはそうしたことを前提として読んで頂きたいと思います。

さて、以前の私は
毎年晩秋になると翌年のカレンダー選びに苦労させられました。その最大の理由はほとんどのカレンダーに友引、仏滅、大安・・・などの「六曜」が記入されていることでした。このような「全く根拠のない怪しげなものが大手を振ってまかり通っている」ことが、私には我慢ならないのです。調べてみるとそれぞれに吉凶や運勢などの特性が示されていて、特に年配者にはそのことを強く意識する人も多いとか・・・。数年前にようやくそのような記述のない山と渓谷社のカレンダーを見つけてからは探し回る苦労もなくなりました。素晴らしい山の写真で構成されたこのカレンダーには、六曜が記入されていないだけでなくもう一つ私が使いたくない年号(元号)も書かれていないので、毎年このカレンダーを購入し部屋に飾って大好きな山の風景を楽しんでいます。カレンダーは一年間を通して使うものなのでこのようにこだわるのです。

年末から散々聞かされた「来年(2018年)は戌(イヌ)年」という言葉も、私には「2020年の東京オリンピック」同様耳障りでならない言葉です。古代中国由来の干支が長年にわたって暦や時間、方角などを表す方法として用いられてきたことはよく知っています。今ではほとんどいないと思いますが、以前は年齢を生年の数字ではなく「申年生まれ」などと干支で言う老人も少なくありませんでした。TVなどで普段筋道立った議論を展開しているコメンテイターまでが「来年はイヌ年で・・・」などと浮かれている姿を見ると、本当に不思議でなりません。

確かに「正午」、「端午の節句」、「土用の丑の日」をはじめとして各地の行事の名称などに干支に関わる表現が使われている場合は少なくありませんが、遙か昔の中国で干支一つ一つに根拠もなく与えられた意味や役割をさも真実であるかのように用いるのは、宇宙ロケットが飛ぶ現代に生きる者としてはどうかと思います私がエトに反感を持ったきっかけは、戦時中の疎開先で昔風に言えば「丙午生まれ」の母を「ひのえうま生まれの女は・・・・」と陰口されたことからです。こうした迷信は中々なくなるものではなく、つい最近でも、ひのえうまの年には出生数が少なくなったという信じがたい事実があったようです。

私は
TVドラマ「科捜研」の榊マリ子のように科学万能などとは全く考えていませんが、それでも著しく合理性を欠く物事には非常に抵抗があるのです。「友引に葬儀を行うと知人の死を招く」とか、「仏滅は最も凶、大安は最も吉」など、明白な根拠などどこにもないことは少し考えれば分かることです。これらには統計的な事実すら全くなくつまらぬ迷信に過ぎないのです。無風快晴の日が何事にも最適であり、烈しい風雪に見舞われれば最悪というのが誰もが普通に感じることでしょう。干支(エト)は、まだ科学の目の乏しかった時代に、何とかして自然界の事物や現象を一見理路整然と(思える)ように構成しようともがいた易学者などが苦しまぎれにこじつけて考え出したもので、詰まるところ今では歴史的遺物に過ぎず事実とは一致するはずがないことは明らかです。「○○さんは申年生まれだから・・・・」などと生まれた年で性格を決めつける愚かさは同じ年齢でも人の性格が様々であることを思えば簡単に分かることです。

遠い昔は身の周りに起こる物事全てに対して神秘性を感じていた人類が、中世以降徐々に科学に通じる目でそれらを見るようになり、現在では宇宙の構造から物質を構成する素粒子、生物の組織の多様な機能に至るまで知るようになりました。AIの進化はとどまるところを知らずやがては人間の分野まで席巻しかねない水準にまで達しようとしています。しかし、それでもなお科学で解明されたものは自然界の事物や現象のほんの一部に過ぎないと私は考えています。人間が持っている能力の高さには計り知れないものがありますが、それでも自然科学の成果は大自然に内在するものと比較すれば大海と芥子(ケシ)粒のようなものです。

とはいえ、やはり現代の科学技術は相当なものであり、人間の生活を画期的に変化させた功績は認めざるを得ません。このような現状の一方で、
まるで化石のような凝り固まった認識がいまだに通用していることが私には納得できないのです。午前午後のような使い慣れた言葉をそのまま用いるのは一向に構いませんが、遙かな過去に干支に割り振られた「事実とは無関係な怪しげな意味」を信じ込み、それに縛られて右往左往する時代錯誤の現象にはただ呆れ返るばかりです。

干支とも関係ありますが、
「縁起がいい」「縁起が悪い」という区別も私には不可解な言い回しです。単なる思い込みか昔からの言い伝えに過ぎないのではないでしょうか?実はへそ曲がりの私には妙なクセがあり、わざと人々が避けたがる数字を選ぶのです。子どもの頃に銭湯で選んだ下足入れは番か44番でしたし、大人になってからもずっとそのような世間で「不吉な数字」と思われている数字に抵抗を感じたことは全くありません。単に発音がたまたま同じだからといってが死に通じるなど有り得ないことは誰でも知っているはずなのに、なぜこだわるのでしょうか?もし本当にが不幸をもたらす数字なら、なぜ子どもの頃に超虚弱だった私が90歳近い現在でも他の高齢者よりずっと元気で生きているのでしょうか?

ついでですが、
私は新年の挨拶状をずっと自分自身の近況報告として書いてきました。一応冒頭には「新年おめでとう・・・」と書きますが、あとは過ぎ去った一年間の自らに関する出来事と政治や社会への思いを簡単にまとめ、形式的で無意味とも思える決まり文句は絶対に書きません。更に、ほとんどの人がこだわる干支関係の言葉や絵は決して使わず代わりに旅先で撮った写真を1,2枚添えます。150200枚の手書きはとても不可能なため、近況報告を印刷したあと数行のコメントを添えることで許してもらうことにしています。元号には非常な抵抗がある(理由を書くと"不敬罪”で逮捕されそうなので省略)ため、世界暦(いわゆる西暦)限定です。

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 無名人の独り言 48   (アメリカに楯突く国際社会と飼い犬の悲哀)    (2018.1.1 追記)
 年末の国連総会で起きた“ミゾウユウ”の出来事

こんなことが現実に起こるとは全く予想もしていませんでした。何とアメリカの忠実な飼い犬が飼い主に噛みついたのです。お調子者のアメリカ人が指導者として選んだトランプという名の愚か者がエルサレムをイスラエルの首都として認めると断言したことに、国連総会の特別会合で圧倒的多数の国々が反対の意志を表明する決議案に賛成しました。当然と言えば当然の成り行きですが、財政支援の打ち切りなどで脅しをかけるアメリカに反抗するという関係国の勇気ある行動には拍手を送りたいと思います。

戦後ずっとアメリカ様々で何でもハイハイと言ってきた日本がこの決議案に賛成する側に回ったのは、カナダなど35ヶ国が棄権したことを見れば正に天地がひっくり返るような出来事で、今後どのような報復がアメリカによってなされるかが見ものです。財政支援とは無関係な日本に対する罰として考えられるのは、貿易関係での無理難題の押しつけや武器購入の要求、アメリカ国内に展開している日本企業への不利な条件の強要などでしょうか?最も大きい影響を及ぼすのはアメリカ軍による日本防衛義務の放棄、つまり日米安全保障条約の解除かも知れませんが、安上がりの基地を気ままに造れるアメリカ防衛の最前線としては最適な日本列島という名の「不沈空母」を手放す勇気まではないような気がします。

イスラエルは早速暴力で周辺を脅かしていますが、アメリカ国内でユダヤ系アメリカ人が持つ強い影響力に依存するトランプには、イスラエルを諫める気など毛頭ないようです。
中東で大規模な紛争が起こればまた世界中が経済的にも大きな影響を被ることは必至なのに、トランプの姿勢は、カネのことしか頭にないエコノミストを超えて、自分(自国)さえ良ければいいという「
エゴノミスト」であることを如実に表しています。。

 今年は更に加速しそうなアメリカ追従の政治

度重なる強行採決などですっかり準備の整った独裁者は、いよいよ本格的に自らの思いを遂げる道に踏み出したように思われます。姑息な手段で国のあり方を根底から変えてしまった安全保障関連法、国民の耳を塞ぐ可能性を多分に持つ特定秘密保護法、更にもの言う人々を拘束する危険性を感じさせるテロ等準備罪法案まで、権力側にとっては伝家の宝刀になり得る道具立ては揃った訳です。平和憲法はかつての大坂城と同じく外濠を埋められ、あとはただ圧倒的多数を握る改憲勢力によって見る影もない哀れな姿に落とされるのを座して待つばかりになっています。

天文学的な赤字を抱える国家財政を顧みることなく
トランプの脅しに乗ってF35の購入機数を増やすのも間もなくでしょうし、実際にミサイルを撃ち落とせる筈もない高価なイージスアショアの購入を決めたのも同じ流れでしょう。前にも書きましたが、ミサイルを発射されたら実際には防ぎようはないのです。最近各地で行われる避難訓練のように頑丈な建物や地下に逃げ込んだからといってどれほどの効果があるか、戦争の体験者なら容易に分かります。

更に驚くことに、
防衛省が自衛艦「いずも」を空母に改装する計画を持っていることが判明しました。「いずも」は昨年アメリカの原子力空母を護衛したヘリ搭載艦ですが、これにF35Bを積んで正式な航空母艦にしようというのです。

自衛隊を正式な「国防軍」として認めその存在を憲法条に明記すること、そして現憲法の根幹とも言える戦争放棄や平和主義の理念を踏みにじることを企図しているのが安倍政権です。国会を独占してしまった現在ならことは簡単でしょう。籠池問題の際に明らかになったように安倍夫妻はともに右翼教育の信奉者であり、学校教育を通じて子どもたちの柔軟な頭脳に危険で前近代的な思想を注入しようとするかも知れません。

今年も政治のあり方にはずっと注意を払っていかなければなりません。


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 無名人の独り言 47  (人間の心を失った卑怯な行いへの怒り)      (2017.12.17 記)

今日の朝刊で見た記事は衝撃的でした。沖縄で相次いで起こった米軍機による部品落下事故のことです。何と、
保育園の屋根に落ちた部品について「自作自演ではないのか」とか「そんな所に保育園があるのが悪い」という書き込みがネット上で行われたと知り、激しい怒りを覚えました。

以前にも書きましたが、
インターネットはこの上なく便利なシステムである一方、匿名性を悪用してこのような卑怯極まる行為も可能にしてしまうという大きな欠点を持っています。今回のような悪意に基づく中傷が飛び交うのも、自らの個人情報をさらすことなく言いたい放題をできるのが現時点でのネット空間の水準だからです。将来AIが人間の良識を具える水準にまで発達してこのような出来事を皆無にできればいいとも思いますが、そうなればなったで、今度はAIが勝手に暴走するようにならない保証はありません。結局、現段階で最も重要なのは「インターネットを利用する一人一人が、当事者の立場を十分理解するよう努力した上で責任ある言動につとめる」ことですが、暴走する車が後を絶たないのと同様、「自由=自分勝手に振る舞うこと」と思い込んでいる者が老若男女を問わず年々増加している現状では、もはや望み薄と言うのが正直な所かも知れません。日本も本当に情けないノーマナーの国になり下がったものです。

今回の問題の根幹は「沖縄にアメリカ軍基地が集中している」ことであり、そんなに多くアメリカ軍基地があるのが悪いのです。太平洋戦争の末期に(“本土”を守るための捨て石にされて)沖縄の人々が被った大き過ぎる犠牲、そしてその後も長くアメリカの統治下で苦しんだ事実、(形の上で日本に復帰してからも)何度となく起きたアメリカ軍兵士による事件や事故、今また貴重な環境を痛めつける辺野古沖での基地新設工事、安倍政権による様々な陰湿ないじめ等を考えれば、沖縄の人々はカタルーニャ同様独立を叫びたい気持ちでいっぱいでしょう。しかし、現実にはもし独立すればたちまち中国の餌食になるであろうことは自明の理であり、辛うじて踏みとどまっているのではないかと私は思います。

また、日米安全保障条約に関わる
「地位協定」というものの存在が問題です。今回のようにアメリカ軍が何か事故を起こした場合、日本の警察の捜査権には大きな制約があり、軍事機密を根拠に自由な捜査が妨げられます。一応は独立国である日本の国内で起きた事件でこのような不可解なことが通用すること自体、日本が実際はアメリカの属国であることを証明しています。

いわゆる本土(この呼び方も差別的で私は嫌ですが)に住む人々は、もし近くにアメリカ軍基地が来るとしたらどう反応するのでしょうか?大々的な反対デモで拒否するに違いありません。要するに「遠い沖縄で何が起ころうと自分たちには関係ない」というのが多くの人々の感じ方のような気がします。原発事故で生活を根底から破壊された福島の人々に対する冷たい仕打ちと同様です。
「他人の痛みを知る」ことの大切さがほぼ見失われてしまったモノカネ信仰社会の恥ずべき現状です。ある程度のモノカネは生きていくために必要ですが、人間にはモノカネ以上に大切なものがあるのです。
子育て(家庭、学校)の中でそういう部分に触れる機会が少なくなっていることも一因だと思いますが、
個人個人の劣化が社会の劣化を招くものである以上、不祥事や恥ずべき行為の続出する経済界や政界のていたらくも、所詮その鏡に過ぎない訳で大元は日本人そのものであるように思います。

とにかく、
「自分だということが知れなければ何をしても構わない」と考える愚かで身勝手な人々はごく一部だと思いたいですが、被害者の心がどれほど傷つけられるかを知って欲しいものです。折角生まれた便利なインターネットを、いわれのない集中攻撃や犯罪に悪用する愚だけは絶対に許せません。

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 無名人の独り言 46  (勝手気ままが何より得意な東西の二人)       (2017.12.9 記)
                                                 

太平洋を挟んで、品性下劣な上政治的識見も皆無なあのボスと、この国の歴史の逆転を画策しているその忠実な飼い犬が、揃ってにわかには信じられないことを言い出しました。東のボスは中東地域を混乱に陥れ、その影響が世界に及ぶことが必至の「在イスラエルアメリカ大使館のエルサレムへの移転」を強行することを宣言しました。また、西の忠犬ポチは、部下の防衛官僚に他国への攻撃も可能になる巡航ミサイルの導入を検討させているようです。

二人揃って何というバカなことをするのでしょうか?
弱者よりも強者やお友だちへの奉仕を第一にすることも、自らの言い分だけを強調して丁寧な説明などせず反対意見には全く耳をかさないことも本当によく似ています。だからこそ、あの史上最悪の大統領はこの国(いや、事実上アメリカの属国か51番目の州)の独裁者を信頼(?)しているのです。巡航ミサイルも結局は当然のことながらアメリカ製を買い込んでボスの歓心を買うことになるでしょうし、F35に続いて親分のご機嫌を伺うためには、1000兆円を遙かに超す財政赤字など全く気にならないのでしょう。。

怖ろしいのはイスラエルの首都移転問題です。あの地域は本来パレスチナの土地であったものを、米英主導で(クルドと同様)勝手に国境を設定した上むりやりイスラエルというユダヤ国家を押し込んだのです。そのことがずっと解決を見ない(恐らく永遠に)中東地域の混乱を招き、石油を通して世界中を不安定にしてきました。当然のことながら、中東で孤立したイスラエルは北朝鮮同様軍事力の強化に努め、核も保有していると言われています。それなのに、トランプが強引にこのようなことをしようとするのは、要するに国内の支持者の中でのユダヤ系の人々を重視しているからであり、特にユダヤ教信者である娘夫婦の影響も無視できないでしょう。もし首都の移転を強行すれば、辛うじてバランスを保ってきた中東地域が再び以前のような闘いの泥沼にのめり込み、テロ集団の活動は単にこの地域だけでなく世界の隅々まで及ぶようになる可能性があります。彼は就任以来の言動を見ても明らかなように、とても政治家と呼べる人物ではなくただの強欲な経済人の見本なのであり、世界の人々がどうなろうと地球環境が悪化の一途を辿ろうが、自分さえ思い通りのことができれば良しとするとんでもない史上稀に見る劣悪な大統領です。ようやく先に光明が見えてきた地球温暖化への取り組みであるパリ協定からの脱退など、およそ考えられない暴挙です。年々進行する環境破壊がもたらす様々な悪影響への認識など、彼は全く持っていないのです。

政治、経済、軍事などほとんど全ての面でこのような愚かな人物の言いなりになるしかない惨めなこの国であるため、核問題でも主体的な姿勢は取ることができないのです。何かと屁理屈をこねて核兵器禁止条約への積極的な関与をせずにいる「唯一の核被爆国」の姿が、世界各国からどのように見られているか明らかです。要するにアメリカの「核の傘」に守られていることが、このような矛盾した姿勢を取る理由です。ああ情けなや、情けなや・・・。

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  無名人の独り言 25  (戦争とは無縁と思い込んでいる戦後派の人々に)
                                                   (常時掲載) 
                                                            
ゲームや映画では見ていても実際に戦争を経験していない人々には、私がなぜこのように安倍政権を危険視するか中々分からないと思います。そこで、いくつか述べてみることにします。

  
ここに注目!!

 @ 
戦争は一般の人々が起こすのではなく、例外なく時の権力者の主導によって引き起こされるのです。
 A 
戦争はいきなり起こるものではなく、必ずかすかな前兆から始まり徐々に確かな形になっていくのです。
 B 
情報を隠したり積極的に人々に伝えようとしなくなるのは、やがて戦争へとつながる危険な兆候です。
 C 一旦
戦争が起きてしまえば人々は否応なく巻き込まれ、反対や抵抗は事実上不可能となります。
 D 
戦争で犠牲になるのは常に一般の人々で、自由は剥奪されて権力者の道具とされます。
 

このように書いても、
戦後の平和憲法下でぬくぬくと(失礼!でも事実!)生きてきた人々は「まさか戦争なんて!」と一笑に付してしまうかも知れません。あの国会前での抗議集会のときにも「戦争なんて起こる筈がないのに、何を大げさに騒いでいるんだ!」という意見の人が少なくありませんでした。デモ行進をしてもそれに共鳴する雰囲気はあまり感じられず、見方によっては冷ややかとも受け取れました。

しかし、多くの知識人や憲法学者、元自民党の有力者たちまでがこぞって反対した集団的自衛権容認を突破口とする
安倍一派のやり口には、太平洋戦争の経験者の目には戦前の日本を彷彿とさせるものがあるのです。国民の目と耳をふさいで物事の真実を知られないようにしておき、その裏でどんどんと戦争への道を進めていったのが当時の軍部が事実上独占していた政府です。国の動きに少しでも疑問を抱く言動には厳しい統制と国家権力による迫害処罰が行われるため、一般の国民が声を挙げることなどは到底無理な時代だったのです。全体主義の世の中は現在のような有り余る自由を手にしている世の中とは異次元の世界であり、とても比較にならない厳しい環境を強いられた時代なのです。

現在はまだ形の上では民主主義の時代であり、人々はどんなことでも自由にものを言ったり書いたりできます。こうして政府やお偉方の批判も自由にできます。何事でもそうですが、普段何の制約もなくできることはいつしか当たり前のように思ってしまい、それがどんなに貴重なことなのか意識せずに過ぎてしまいがちです。

同じ「戦争」と言っても、
太平洋戦争は日本が自ら起こした戦争であるのに対し、私が今ここで強調したい「戦争」は「アメリカがいつか起こすであろう戦争に巻き込まれる形での戦争」です。広い意味ではもう既に「新しいタイプの戦争」であるISを筆頭とするテロ集団による攻撃に日本も巻き込まれているのです。2020年のオリンピックは果たして無事でしょうか?オリンピックはテロリストにとってはまたとない美味しい標的です。テロは攻撃する側が絶対的に有利な立場であり、いつ、どこで、どんな方法で実行するかはテロリスト側が自由に選ぶことができるのです。しかし、防御する側はいくら事前に対策を強化しても限界があり完全に防ぐことは不可能です。最近世界各地で起きているテロを見ればそのことは容易に理解できると思います。

現在進行中の日本近辺でのアメリカと北朝鮮のにらみ合いも、ちょっとしたきっかけで熱い戦いに変わる可能性は決してゼロではありません。「まさか戦争にはならないだろう」という楽観的な見方に頼りたいのは人間の心理に違いありませんが、そう言い切れないのは人間には時には理性を凌いでしまう感情という厄介なものがあるからです。

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 以下の項目は常時掲載します 

 
私が生きてきた時代 (戦前・戦中・戦後)

戦後70年を過ぎた今、あの戦争が日本にどのような影響をもたらし戦後の日本が戦前や戦中と比べてどう変わったかを知っているのは、実際にその時代を生きて戦争を肌で体験した私のような
80代半ばを過ぎた人間だけになってしまいました。敗戦を境にそれまでの國のシステムの大半が占領軍の命令によって強制的に変更され、それまでの日本に存在したものは根こそぎ捨て去られたのです。敗戦後の混乱の中では、捨て去るべきものと残しておくべきものを取捨選択する余裕など、最低限必要な食料さえ手に入れるのが容易ではない厳しい日々を生き延びるのに精一杯の当時の人々にはとてもなかったのでやむを得ないことだったかも知れませんが、その結果、それまでの(一般の)日本人の生き方の全てが否定され、自然との調和を大切につつましく生きる中で育まれてきた多くの美点までも、そのほとんどが価値いかんにかかわらずエイッとばかり惜しげもなく捨て去られてしまったのです。そして、私の目には必ずしももろ手を挙げて歓迎できるとは思えないモノカネ第一のアメリカ風の生き方をひたすら追い求めることが、多くの日本人の目標とされるようになってしまいました。

戦前の日本は軍備に国家予算の過半を費やして世界の列強に伍することを最大の目標としていました。そのため、一般国民の生活水準は特権階級を含む豊かな一部の人々を除けば決して高くはなく、文明国の中ではどちらかと言えば低い方に属していたように思います。当時の世界で図抜けて豊かだったアメリカと比較すれば文字通り天地の差と言っても過言ではありません。明治維新までの長い鎖国で後れを取った欧米各国に追いつこうと焦った日本は、以後の
國造りの基本を天皇を中心とする「忠君愛国」を精神的支柱とした「富国強兵」政策に求めました。そうした最終段階で、政治への影響力を強めたのち遂に政権を手にした軍部(特に国際事情に疎い陸軍)が、バランス感覚を失って暴走したあげくあの無謀な戦争に突入した時期に、ちょうど私の一度きりの人生が重なってしまったのです。多少の浮き沈みはあっても普通に考えられる生活を送ってこられた戦後生まれの人々に理解してもらうのはかなり難しいことですが、一度きりしかない貴重な人生をこうして根底から覆されてしまった私は、プロフィルにもある通りこのような国家の手になる重大犯罪に対する怒りが収まらず、ずっとその思いを胸にたぎらせて現在までの日々を送ってきたとさえ言えるのです。

戦禍で都市は至る所が廃墟と化し美しい山野に覆われていた日本が見る影もなくなってしまったのち、生活苦に喘ぎながら懸命に働いて復興に汗を流したのは私たちの世代ですが、このことは今ではほぼ完全に忘れられています。高度経済成長の立役者となったいわゆる団塊の世代が活躍できるための基礎工事をしたのが私たちの世代であるのにもかかわらず、ほとんど評価されないという空しい立場なのです。例の竹中氏などは絶えず「高齢者の増加が高額の医療費や年金など社会保障費を押し上げて国の経済を圧迫し、現役世代や若年層に大きな負担をかけている」と私たちの世代を標的に攻撃(口撃)55年体制下で繰り返されたその場凌ぎのばらまきや箱物行政など、未来への予見を欠いた選挙目当ての政治が本当の原因であることへの責任には全く言及しなかったのです。昨今大きな問題になっている少子化も、そしてもちろん高齢化もとうに予想できた筈なのに、長期の対策をきちんと立てずに、ひたすら自分たちの内輪もめや金脈探しにうつつを抜かしてきたのが自民党でした。こうしてstatesman (本物の政治家)ならぬ politician (党利党略に長け私利私欲を追求する政治屋)は、自分たちの政治の失敗を世代間の対立という構図に見事なまでに転嫁してしまいました。彼らの本心を推測すれば、私たちのような国の経済に貢献せずやたらカネを食う厄介者は、絶滅危惧種とは正反対の「絶滅期待種」なのでしょう。このように長年働いて社会を支えてきた人間を粗末に扱う「恩知らず社会」と化してしまったのはとても悲しいことです。

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私のホームページ作り
 ホームページを作ったきっかけと、その後の経過

私がこの
ホームページを作ろうと思ったきっかけは若い友人の何気ない一言でした。私は1994年頃から旅行プランを自力で作るのが当たり前になっていましたが、あるとき偶然スイス旅行の細密なプランを彼女に見せたのです。そのときに彼女が口にしたのが「このようなプランの立て方は滅多にないので、もっと大勢の人々にも知ってもらう方がいいですね?」という言葉だったのです。そのときはさほど気にも留めなかったのですが何年かののちに突然これが頭に浮かび、そのためにはどうしたらいいかを考えるようになりました。

そこで思い付いたのがホームページですが、旅行プランだけではあまり意味がないので、いっそ旅行写真を公開しようということになりました。以前から写真だけはきちんと整理してあったので、何とかできそうに思えたのです。ただ、
このとき既に72歳で、本式にプログラム言語などを身につけてからサイトを作るのではあまりにも遅くなってしまいます。

幸運なことに、この頃ちょうどホームページビルダーが発売され、「よし、ひとつこれを使ってホームページを作ってみよう」ということになりました。
「何でも他人に頼らず自力で・・・ 」が私の流儀でもあり、マニュアルと首っ引きでページ作りに励みました。その甲斐あって、200416日に初めてのサイトをアップすることができたのです。ほんの15枚のサムネイル画像でとてもお話しにもなりませんが、自分の作ったページがインターネットに載り、それを大げさに言えば全世界の人々が見ることができるという事実には正直興奮を覚えました。

回を重ねるごとにサイトを構成するページが増え、掲載する内容も海外旅行の写真だけだったのが国内旅行の写真も加えるなど、ホームページビルダーへの慣れもあって順調にサイトの充実を進めてきました。途中でしばらくの間外国人向けに英語ページも作ったのですが、これは失敗でした。諸外国からの怪しげなメールが激増したのです。結局、
未練はあったものの英語ページは年間ほどで閉じてしまいました。

お気づきでしょうが、
私のサイトにはCMが全くありません。あるのは検索サイトと素材等でお世話になっているサイトのバナーだけです。山、旅、鉄道、写真をメインに作ってあるのが私のサイトなので、その雰囲気を壊してしまうCMは絶対に入れたくないのです。私のCM嫌いは昔からのものですがとにかく徹底しているのです。今では番組の前後に限らず途中でものべつ入るのが当たり前になっているTVコマーシャルは、一つの番組を通してきちんと見せる本来の使命に背くものだと思っています。保存したい番組の場合は一旦録画しておいてCMを削除してからDVDにコピーしておきます。

少し脇道にそれてしまいましたが、こうして作られた私のサイトには普通のサイトとは違う点がいくつかあります。先ず、
更新回数が非常に多いことです。2004月にホームページを立ち上げてから2007年末まではヶ月半毎、2008年から2015月までは毎月日に更新してきました。トップページにも書いてありますが、数千枚の写真を一度には掲載できないので、数回(現在は回)に分けて掲載するからです。プロバイダーが変わってディスク容量が大幅に拡大し一度に掲載できる写真の枚数が飛躍的に多くなったため、閲覧期間を延ばす必要からヶ月毎の更新にしました。これまでの百数十回にのぼる更新の都度、少しでも良いサイトにできないかをいつも意識して改善に意を尽くしてきた結果、何とか見られるものになったのではないかと思っています。私にとってホームページの運営は今では生き甲斐の一つにもなっているので、「頭の上にリングが浮かぶ」まではこのサイトを少しでもよいものにしていく努力を続けていくつもりでいます。

一部のページを除けば、各ページの左端に並ぶミニ画像(親指の爪文字通りのサムネイル)一度のクリックで拡大画像
(600×450 or 450×600 pix)が見られるようにしてあります。このことは同時に写真を用意する手間が普通の場合の倍になることを意味しますが、因果なことに私はこの種の細かい作業は一向に苦にはならない変わり者なのです。

BGMとして使用している曲は、有名な名画「サウンド・オブ・ミュージック」の中でナチスに抵抗するトラップ大佐が、ナチスドイツに併合される祖国オーストリアの悲運を想いそのシンボルとして歌っている「エーデルワイス」です。日本でも早池峰山などに同種のウスユキ草が咲いていますが、ヨーロッパアルプスの雰囲気が何よりも好きな私にとって、それを身近に感じさせてくれるエーデルワイスの花を讃えるこの曲はBGMとしては願ってもないものなのです。
 
  多くのサイトに接して気付いたこと

色々なサイトを閲覧すると参考になる点も多くあることは確かです。その反面、必ずしも見やすく構成されているとは言えないサイトもあります。また、
CMだらけで主題が何かが分からない状態になっているものもあります。突然にサイトが見られなくなることもありますが、このようなときは、URLが変更になったのか、それとも管理者がサイトを閉じたのか分かりません。

私がずっと利用してきた
OCNPageON(ホームページ掲載サービス)が2015月で終了になるため、プロバイダーをBizメール&ウェブに変更した結果、当然のこととして私のサイトのURLが変わりました。そこで、検索サイトと相互リンク先へその旨を連絡したのです。検索サイトのYahooはすぐにURLを変更してくれました。ところが、相互リンク先については様々な問題が見えてきたのです。

URLの書き換え依頼メール(メールがないサイトには掲示板で)は、月上旬にそれまで相互リンクを結んでいた68サイトに送りました。しかし、それからのヶ月間に書き換えてもらえたのは24サイトだけです。現役の人々の多忙さももちろん大きな理由だと思いますが、他にも見えてきたことがあります。一つは更新回数が少なくメール(掲示板も)に目を通す機会がない場合です。中には最後の更新が年以上も前のままのサイトもありました。また、メールアドレスが変わったのか連絡のしようがないサイトもいくつかあり、この場合は諦めるしかありません。リンク集があるはずなのにクリックしても表示されないサイトや、とてもきちんと作られたサイトなのに「リンク集」と書いてありながらそこへのリンクがされていないサイトもありました。

これらの現象の底流になっているのではと思われるのは、
「自分の作ったサイトに対する関心(注意)」が薄れているのではないかということです。どんなに簡単なサイトでも、一旦インターネットに上げればそれを不特定多数の人々が見る訳でいつも責任を持てる状態に保つことが大切だと思うのですが、間違っているでしょうか?今やスマホ全盛の時代になり人々の関心がそちらに移っているようにも見えますが、パソコンにはそれなりの長所もあるのです。自分のサイトには責任を持ちたいものだと思います。
 
 
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 人生の終末期を迎えて 私の実践

今でこそ終活という言葉が一般的になり人生最後のまとめに目を向ける人々も徐々に増えてはいますが、私の場合はずっと早くからそのことに気付き少しずつ準備を進めていました。ただ単に年をとり弱って気力も体力もなくなって消えていくのではやりきれないという気持ちもあって、男性の平均余命である80歳に近づいた2007年頃から現実に終末期にある一人の人間としての活動を始めたのです。以下、順を追って私の実践を紹介します。
 
 墓地関係の処理
 
核家族化が進んでいる最近は墓地をどうするかも大きな問題になっています。私の場合はずっと市営霊園(永年使用)を借りていたのですが、思い切って2010年に駅近くの納骨堂を借りることにしました。家名の代わりに梓川河畔からの穗連峰の風景と大自然に身をゆだねる趣旨の詩を刻んでもらいました。伝統的な墓石のデザインへの抵抗感の他に、将来子や孫にも使えるようにという意味もあったのです。

 自分史作成のための資料収集
  
メディアが一挙手一投足を夢中になって取り上げる有名人ではなくても、
一人の人間が数十年を生きて過ごすことはそれなりに意味があることです。一生の間には様々な出来事がありそれぞれに対する喜怒哀楽の思いがあります。それらを自分なりにまとめてみたいと思い立ったのが自分史作りへのきっかけで、2009年頃から構想を練り始めました。

まず最初に取りかかったのは、自分自身や家族の写真を探して整理することでした。戦争に伴う疎開やら何回も経験した引越しなどで子どもの頃の写真は数える程しかなく、奇跡的に残っていた誕生直後の写真以外はごく限られた時期のものだけでした。それでも、それら
何十年も昔の色あせた古い写真をスキャナーで取り込み編集ソフトで加工すると、何とか見られるようになったのはとても嬉しいことでした。

次に手がけたのは、少年の頃を過ごした東京の街を歩き回ってゆかりの場所(旧住所や小学校、通学路、遊び場、父の勤務先など)を訪れてそれらの現在の姿をカメラに収めること、そして同じように疎開時に過ごした田舎のあばら屋や小学校、(旧制)中学校とそれぞれへの通学路の現在の姿などを撮影して、数十年前と比較できるようにすることでした。どちらの場合も、歩きながら遠い過去の出来事や情景などを思い起こすことが多く、懐かしい子ども時代に帰ったような気分に襲われることも少なくありませんでした。

また、各種の賞状や修業証書、卒業証書、通知表、旧制高等学校の受験票など残っているものは全て探し出してスキャンし自分史を書くための資料として使えるようにしました。更に、退職後に学んだ大学の単位修得状況一覧表と卒業証書・学位記、英語検定の合格証書、
TOEICの成績表、健康診断・血液検査のデータ一覧表(自作)など、学業関係と健康管理関係の全ての資料もスキャンしました。

国内、海外の旅行やハイキング、町歩き関係の写真や関連資料はその都度パソコンに取り込み編集してあるため、ほとんどはそのまま利用できるようになっていました。
 
 自分史「ハイマツの記憶」の編集と印刷、製本
 
自分史を作る場合普通は原稿を作ってからは全て業者に任せることが多いようですが、それでは自分の思い描く通りのものには必ずしもなりません。そこで、
写真や図表も含めて全てを自力で入力して編集し、更に印刷も使い慣れた自分のプリンターを使って行いました。こうすることで、写真や図表の配置も含めてページ毎の体裁を自分の好みに合わせることができますし、ページ替えも不自然にならないようきれいにできます。手間がかかり大変であることは確かですが、自分が描いたイメージで思い通りの印刷物が出来上がります。ただ、製本だけは業者にお願いしました。120ページほどになったので自分で製本するのは無理があり、わざわざ大きなホチキスを買っても他には使い道がなく無駄になってしまうからです。

原稿の作成には
ヶ月ほどかかりました。純粋理系の私のことで文章力には全く自信がなく、文章の吟味や推敲にはかなりの時間をかけました。難しかったのはやはりページ替えで、写真や図表と文章との位置関係、文の内容の切れ目などに気を配りながら無理なく自然な流れになるようにしなければなりません。もちろん、誤字や脱字にも目を光らせますが、ページ替えに関連して内容を変えずに表現を工夫し伸ばしたり縮めたりしてうまくページに収まるようにするのは中々難しいものです。

私の場合、自分史はどちらかというと娘たちよりも孫たちに読んでもらうつもりで書きました。戦争を全く知らず生まれながらにして物の溢れる時代に生きてきた孫たちに、
戦争というものがどれだけ人々を苦しめたった一度の人生を破壊する理不尽なものであるかは、実際に経験した私などの世代が是非伝えなければならないと思うのです。

因みに、自分史のタイトルは散々迷った末「ハイマツの記憶」としました。ハイマツは日本アルプスの
2500m以上の高所で、強風や豪雪に耐えて生息する強靱な植物で、このような自然環境のため人里離れた高山の斜面や稜線にへばりついてじっと耐えている植物です。その姿に人混みを避けて静寂を求める私の習性や戦前、戦中、戦後のつの時代を生き抜く間に様々な困難をくぐり抜けてきた私の人生との共通点を見いだせるように感じたのです。

内容は前編と後編に分けてありますが、それぞれの項目は次のようにしました。

「前編」 =激動の時代の波に翻弄された人生を振り返って=
   @系譜(簡単な家系図)   A先祖と家族、親類縁者のこと   B 戦前と戦後の学校制度の比較
   Cこの世に生を受けてから東京を去るまで    D不本意な田舎暮らしの始まりから小学校卒業まで 
   E旧制中学校入学から日本の敗戦まで    F日本の敗戦から中学校卒業まで 
   G中学校卒業直前の悲劇(父の死)      H小学校から中学校までの学業関係の証書等 
   I○○○○世界に生きた42年 ← (在職中の記録)

「後編」 =退職後の生活を充実させた活動を振り返って=
   J人間らしく生きるための健康管理   K学問の世界への回帰・放送大学   L英会話能力の強化
   M科学技術の成果の活用       N音と映像の世界(音楽への傾倒、映像メディアの活用) 
   O自然との対話を求めて(登山、トレッキング、ハイキング) 
   P〜S退職後の旅(日帰りのハイキングと軽登山、日帰りの町歩き、泊まりがけの国内旅行、海外旅行)

Bは、特に
「中学校」と「高等学校」が、戦前戦中と戦後では名称が同じでも年限や中身が全く異なるので、混同して受け取らないように設けました。また、O〜Sは、現在のホームページに掲載している画像からそのごく一部を抜粋したものです。

こうして出来上がった「ハイマツの記憶」は、今はまだ孫たち(高
,高,小)には時間がなかったり読むのが難しかったりでしょうが、やがては少しずつでも理解してもらえることを期待しています。

また、これとは別に
「別冊」(全16ページ)として、戦争に関わる世の中の実態と変化を一覧表にまとめて孫たちに与えてあります。戦前から戦後に至る激動の数十年間を「太平洋戦争の開戦まで」「太平洋戦争中」「敗戦直後の数年間」「平和条約締結後」とつに分けて、それぞれの時期の日本社会の姿を背景とともに比較できるようにしました。今ではもう孫たちに歴史を教える先生方も戦前から戦後への実際の姿は知らず、単なる表面的な知識の伝授になりがちではないかと考えたのが、この別冊を作った目的です。

前書きとして、「私が生きてきた時代」「戦争、愚かな人類のやめられない愚行」「太平洋戦争に関して」「全体主義と個人主義」「歴史認識についての尽きない疑問」をまとめ、そのあとに上記の
つの時代の比較を「国の体制と政治状況」「産業と経済の状況」「軍備と戦争の状況」「一般国民の暮らしの状況」「家庭・家族と地域社会の状況」「子ども社会の状況」「子どもの教育環境」「モラルと治安の状況」のそれぞれの観点からできるように、実際に見たり聞いたりした具体的な事実とそれに対する私の思いを加えて箇条書きで示しました。
     
 「終着駅への道しるべ(あとに残る者のための備忘録)」の作成
 
いまなお死に関する話題に触れるのを嫌う人が多いのは事実ですが、私には全くそのような気持ちがありません。人間にとって死は避けることのできないことであるので、財産の有無にかかわらず生きている間、それも元気なうちに、あとに残る者たちが困ることのないよう周到な準備をしておく必要があると思い、「終着駅への道しるべ」と題する冊子を作りました。2007年に最初の冊子を作り、以後は変更箇所があるたびにその部分を修正する改訂を行ってきました。

内容は、土地家屋の権利証はもちろん、年金関係、健康保険関係、民間の生命保険や損害保険、預金関係、その他の重要書類のそれぞれについて、種別や番号、取り扱い会社や代理店など連絡先、その他のデータの詳細を記入してあります。それらの書類等の所在もはっきり分かるように書き添えておきました。 常時身に付けているもの、非常持ち出しリュックに入れてあるものなどに分けてあります。

「遺言書、尊厳死宣言書」の作成 
 
財産と言えるほどのものはない一庶民ですが、一応遺言書を作りました。自筆で形式を守り日付や押印のほかどんな点に注意すべきかを調べてから書きました。

今の時代、かなり大切になるのは尊厳死宣言書だと思います。たとえ植物状態になっても積極的な手段で患者を死に導くことが医師には許されていない以上、何らかの形で本人の意志が明確に示されていることが必要です。私の従妹の中にも、姉が脳梗塞からやがて植物状態になってもそのまま入院を続けさせるほかなく、点滴等で栄養だけは補給されるため本人には全く意識がない状態にもかかわらず年間生き延びた例があります。このような姿が果たして人間の尊厳を維持していると言えるのかどうか非常に疑問を感じます。また、医学の進歩とはこのようなことのためにあるのかどうかも・・・。

そこで私は、正式な書式を調べた上で尊厳死宣言書を作りました。強調点は簡単に述べると次の
つです。
    @私が病で重篤な状態になり回復の見込みが全くない場合は、単なる生命維持のための治療はせず苦痛を軽減するための処置のみにとどめること。
    A私が植物状態に陥ったときは速やかに生命維持装置を取り外すこと。

本人の意志がこうして明確に示されていれば、残された者たちも(そして医師たちも)決断がしやすくなるでしょう。

「 死後に必要な処理事項とその手続き」の作成
 
一人の人間が亡くなったあとその人に関わる様々な事項の処理をどのようにするかは残された者にとっては決して簡単ではありません。「夫が亡くなったが、何がどこにあるか全く分からなくて困っている」というような話はよく聞きます。そうしたことのないよう、
何をどんな順序で行わなければならないか、その際はいつまでにどんな手続きをどこでするのかなどをできるだけ具体的に細かく示しておくことが必要です。私の場合は次のような内容になりました。

先ず預金の引き出しと葬儀社への連絡 、死亡届の提出、関係者への死亡通知、年金支給機関(元勤務先関係と厚生労働省年金局)への死亡届け出、口座からの自動引き落としの停止届け出(私の場合はインターネット関係とスマホ関係、保険関係)などが緊急を要するものでした。あとはさほどの緊急性がないもので、死亡保険金の請求、公的証明書等の処理、土地家屋の名義変更などです。

「死後の処置に関する希望」の作成 
 
私自身としては当初は医学の進歩に貢献するよう献体を考えていましたが、色々と調べた結果不適当なことが判明して断念せざるを得なくなりました。しかし、死後の処置についてはいくつかのこだわりがあり、それを文書の形にして残すことにしたのです。内容は、基本的な考え方と具体的な手順やそれに伴う諸々の事柄になります。

まず、
基本的に無宗教の立場に立つことが最も強い希望です。今やほぼ完全に”葬式仏教”と化したことへの反発から、仏教に関係することは極力避けることを特に強調しました。葬儀はできるだけ簡素に内輪で行って会葬も香典のたぐいも一切辞退し、知人にはあとから葉書で知らせることにしてあります。

具体的な手順は時系列で示しましたが、それを作る前に
数回は葬祭業者と打ち合わせて細かい部分まで確認を済ませてあります。当の本人が細部にわたって質問するのに先方は当惑していましたが、私にとっては何の不思議もない至極当然のことなのです。死は不吉なことではなく全ての人間の終着駅なのですから。

打ち合わせで確認したのは、祭壇の種類、霊柩車の車種をはじめとして骨壺のような細々とした物品の選択、式場設営の形、式次第(流れと担当者、内容)等で、
全て私自身が考えたプランを示して業者の了解を得たのです。BGMも私が作ることにしてあります。

位牌は作らず写真を飾ればよいと思います。また、仏教でよくある追悼行事は一切望まず、適当な日に集まって食事会でもする方が有意義だというのが私の考えです。

最後に遺品の処理についての希望を書きました。機器類や様々な資料、書籍等の中には十分役立つ物が少なくないので、無駄にならないようにということに尽きます。 


こうして
最近やっと話題になってきた「終活」を終えてみると何かをやり残した感じがなくなったような気がします
「これからはいよいよ本当の老後だ」という気持ちになり、何ものにも縛られず安心して自由に行動できます。 

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