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 ニュージーランド二島の旅  (1990)
    ミルフォードサウンド、マウントクック、
    クライストチャーチ、ロトルア 他
 
 ニュージーランド南島の旅 (1996)
    クイーンズタウン、マウントクック 他 
 南米とカリフォルニアの旅(1980)
     モンテヴィデオ、リマ、トルヒーヨ 
    カリフォルニア(サンフランシスコ他) 
 鉄道で巡るスイスの旅   (2001)
    エッギスホルン、サースフェー 他 
    レマン湖畔、グリンデルワルト 他 
 初めてのヨーロッパの旅 (1984) 
    ウイーン、インスブルック 他 
    サンモリッツ、ルツェルン 他 



ニュージーランド
南北二島巡り

(1990)

ミルフォード・サウンド
マウント・クック、ロトルア


コース概略(赤字は宿泊地
  クィーンズタウン〜テ・アナウ
〜ミルフォード・サウンド
クィーンズタウン〜マウント・クック
クライストチャーチロトルア
〜ワイトモ〜
オークランド 
(1990.11.12〜11.21)


MAP(ニュージーランド南北島)



以下、ミニ画像をクリックすれば、
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 テ・アナウ〜ミルフォード・サウンド
 機上から見下ろす
 南島のカンタベリー大平原
 ボブスヒルから見下ろす
 クイーンズタウンとワカティプ湖
 南島最大の湖
 テ・アナウ湖
 この国の典型的な風景
 アルプスと牧場
 ミルフォード・サウンドへの道
 ホーマートンネル付近で
 嶮しい山々に囲まれた
 ミルフォード・サウンド
 ミルフォード・サウンド
 の観光船
 ミルフォード・サウンドに
 流れ落ちるボーエン滝
 昔のゴールドラッシュの町
 アロータウン

テ・アナウからミルフォード・サウンドへのコースにはいくつもの湖がありますが、どれもみな日本では中々お目にかかれない程の澄み切った水を湛えていて、ミラーレイクの愛称で呼ばれています。さすがに環境保護の思想が徹底している国だと思いました。

ミルフォード・サウンドは、規模ではノルウェーのフィヨルドに遠く及びませんが、実際にはかなり迫力が感じられました。幅が狭く周囲に高い山が迫っているのが原因だと思います。降水量が際だって多いこの地域で晴天に恵まれたのがどんなに幸運なことかは、あとで知りました。「世界で一番美しい散歩道」とされているミルフォード・トラックはテ・アナウ湖とミルフォード・サウンドを結ぶコースです。


マウント・クック〜クライストチャーチ
 サザンアルプスへの基地
 マウント・クック・ビレッジ
 フッカーバレーへの
 ハイキングコース案内板
 モレーンの彼方に
 姿を現したマウント・クック
 崇高なたたずまいに感動!
 堂々たるマウント・クック
 重厚な古城レストラン
 サイン・オブ・タカヘ
 古城レストラン
 サイン・オブ・タカヘの内部
 クライストチャーチの象徴
 クライストチャーチ大聖堂
 クライストチャーチ大聖堂
 内部のステンドグラス
 クライストチャーチ
 冒険家クック船長の像
 極地の探検家
 スコットの記念碑
 エイボン川に懸かる慰霊碑
 アーチ形の追憶の橋
 市民の憩いの場
 緑豊かなエイボン川
 古き良き時代の大富豪の
 豪邸モナ・ベイル
 牧場で草を食む羊たち
 直接見るのが難しい国鳥
 キーウィ・バードの剥製 

マウント・クック、冒険家の名がついたこの山が私を魅了したのは、フッカーバレーを進んでモレーンの彼方に氷河を従えたその姿をとらえた瞬間です。それ以来この瞬間の印象が脳裡に焼き付き、世界で最も好きな山になってしまいました。へそ曲がりの私は、国内海外を問わず、均整のとれたコニーデ型の山よりもこのような個性豊かな山に惹かれます。相手が山でなく人間の場合にも、八方美人よりもはっきりと個性を主張する人の方に惹かれるという、困った性分の私なのです。

エイボン川は、クライストチャーチ市民にとっては正にオアシスの役割を果たしています。この日もちょうどカヌーレースが行われていて、多くの人々が熱狂的な応援をしていました。また、スコットの記念碑でも分かるように、この町は南極への基地としても有名です。英国風の庭園で知られるこの町が大地震に襲われて大聖堂が倒壊したのも、まだ記憶に新しいことでしょう。


ロトルア〜ワイトモ〜オークランド
 ロトルア湖畔に群がる
 ブラックスワン
 チューダー様式の
 ロトルア博物館
 マオリ工芸専門学校
 陳列された伝統工芸品
 舌を出して威嚇を表す
 マオリの闘いのダンス
 ロトルア、ファカレワレワ
 間欠泉の豪快な噴出
 レインボー・ファーム
 羊集めに活躍する牧羊犬
 観光牧場レインボー・ファーム
 羊の毛刈りショーのスタート
 レインボー・ファーム
 羊の毛刈りショーの終了間際
 ワイトモの
 土ボタル鍾乳洞
 郊外のアオランギピーク
 珍しい鹿牧場
 オークランド
 ハリテイジバラ園
 オークランド博物館に
 展示されたマオリの作品

ロトルアは小さな町ですが、マオリ族の伝統工芸を大切に保存する目的で専門学校が設立されています。この国の先住民であるマオリの人々は、白人との戦いのあと結んだ条約により、今では白人と同等の地位を保ち、アメリカなどのような人種差別に基づく争いは滅多にないそうです。

オークランドまで来ると普通の近代都市という感じが強くなり、静かで美しいこの国から離れることに一抹の寂しさを覚えざるを得なくなります。
年後に再び訪れることにはなるのですが・・・・。

長年憧れていたニュージーランドを初めて訪れたのがこの旅で、ツアーとは言っても11人の小グループだったため、集団が苦手の私にもあまり抵抗がなく、楽しい日々を過ごすことができました。

結果は予想以上に満足のいくもので、中でも氷河を戴いて銀白色に輝くサザンアルプスには、スイスアルプスに初めて接したときに匹敵するような感動を覚えたものです。比較的天候に恵まれたのも幸運だったと思います。
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ニュージーランド再訪
南島の絶景を巡る

(1996)

ミルフォード・サウンド
マウント・クック


 コース概略(赤字は宿泊地
  クライストチャーチ
クィーンズタウン〜テカポ
マウント・クック〜テ・アナウ
〜ミルフォード・サウンド
テ・アナウ
クライストチャーチ
オークランド
(1996.11.24〜12.7)


MAP(ニュージーランド南島)

最初にニュージーランドを訪れたのは前項のように1990年の晩秋で、このときは北島と南島の有名観光地を巡るグループツアーでした。今回は、スイスを彷彿とさせるような南島をじっくり回ってみようと、ホテルと航空便以外は全く自由というプランを選んだ訳です。いわば”準ひとり旅”ですが、スイスとは違い鉄道網が不備な国なので、この辺で我慢することになりました。

飛行機のトラブルで出発が遅れたり主催者の都合で他の大集団と一緒にさせられかけたりしましたが、何とか抵抗して当初の予定通り”準ひとり旅”を楽しむことができました。


以下、ミニ画像をクリックすれば
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クィーンズタウンとその近郊
 機上から見下ろすニュ
 ージーランド南島の平原
 ニュージーランドの国内
 線、アンセット航空機
 コロネット・ピークと
 クィーンズタウン空港
 お伽の国のようなクィーン
 ズタウン空港のゲート
 クィーンズタウンの
 可愛らしいモール 
 アングリカン教会
 ワカティプ湖畔に並ぶ
 リゾートホテル群
 ワカティプ湖と
 サザンアルプス
 ワカティプ湖最奥部
 深い色を見せる湖面
 ウォルターピーク牧場
 のレストラン
 牧場のレストランで、同
 行者と揃ってディナー
 バンジージャンプの名所
 ショットオーバー川
 スキッパーズキャノンの
 河畔に聳える岩山
 スキッパーズ・キャノン奥
 のパイオニアの家
 バンジージャンプに
 挑む人々

クィーンズタウンは、サザンアルプスとワカティプ湖の素晴らしい眺めを楽しめるおとぎ話に出てくるような町で、前回のツアーでもとても気に入りました。女王がたいへん気に入ったことがこの町の名の由来です。

ここでは自分なりの行動プランを
つ用意していました。そのうちの一つは湖を外輪船で渡って行く牧場でのディナーです。食事もさることながら、帰りの船上でのコーラスがとても雰囲気が良かったので、普段は歌うことのない私もつい釣られて参加してしまいました。誰の指示でもなく自然に湧き上がる歌声には、とても心が癒やされます。

翌朝は、バンジージャンプの名所であるショットオーバー川の奥にある最初の入植者の小屋への現地ツアーに参加しました。
10人乗りほどのワゴンに私も含めて人、カナダ、アメリカ、オーストラリアなどの混成グループでしたが、目的地までのコースたるや凄まじいものだったのです。急斜面の中腹にやっとへばり付いたような砂利道を、カーブでの見通しなどお構いなく飛ばすわ飛ばすわ、道幅も狭く車輪を取られればたちまち谷底という状況で、こんなに肝を冷やしたことはありません。


テカポ湖とマウント・クック
 善き羊飼いの教会から
 テカポ湖とサザンアルプス
 国営ホテルハーミテイジで
 
さん夫妻とディナー
 国営ホテルハーミテイジで
 山岳ガイドのアンドリューと
 青い山脈を背にする
 絶好の立地のハーミテイジ
 フッカーバレーから
 ケアポイントへの案内板
 フッカーバレーを目指す
 ハイキングコース
 ミューラー氷河に架かる
 第一の吊り橋に到着
 銀白色に輝く
 マウント・セフトン
 サザンアルプスに君臨する
 マウント・クック

テカポ湖は文字通りメルヘンの世界で、小さな教会の窓から湖越しに望む遙かなアルプスは、言葉では表せないほどの美しさを感じさせます。

マウント・クックは私が世界中で最も気に入っている山の一つです。前回
90年に初めてこの山を目にしたとき、氷河を従えた凛々しい姿に完全に魅せられてしまいました。今回は現地の山岳ガイドの案内で、フッカーバレーの奥にある氷河湖までハイキングをしました。

また、小型機でマウント・クックを空から眺める経験もしました。でも予想通り山の周囲を吹く風に翻弄されるきわどい飛行で、心臓が縮む思いでした。


テ・アナウとミルフォード・サウンド
 テ・アナウ湖に映る
 サザンアルプス
 透明度の高いミラー・レイク
 に映る逆さアルプス
 ミルフォードへの道から
 遙かなマイター・ピーク
 ミルフォード・サウンドの
 象徴マイター・ピーク 
 幸運にも誕生日に快晴の
 ミルフォード・サウンド
 ミルフォード・サウンドの
 観光船
 ミルフォード・サウンド
 に注ぐボーエン滝
 テ・アナウ近郊から
 名残りのアルプス

ミルフォード・サウンドは、ノルウェーのソグネ・フィヨルドなどに比べれば規模の点では遙かに小さいのですが、実際に接して見るとかなりの迫力が感じられます。多分、ソグネのようにだだっ広くない上、周りを取り囲む山々が高いせいだと思います。

フィヨルドランドと呼ばれるこの地域は年間の降水量が
4000ミリを超えるほどで、ほとんど晴れ間がないそうですが、私の場合は幸運にも度とも見事に晴れてくれました。特に今回は、直前まで小雨が降っていたのが私が訪れたときちょうど晴れたようで、67歳のバースデープレゼントとしては最高に嬉しいものでした。

それにしても、この国は正真正銘の山紫水明を立派に維持しています。所嫌わずゴミを散らかすような行為もなく、不意に不愉快なタバコの臭いに襲われることもないので、安心して自然との対話ができます。ケバケバしく目障りな看板もほとんどなく、大音量のCMにも悩まされないのは、そうした雑多なものが大の苦手の私には、本当に有り難いことでした。

スイスやカナダもそうですが、自然環境を守ろうとする意気込みが、行政面でもまた一般の人々の間でも、日本とは格段の差があるように感じます。環境汚染から自らの国を守るために、あの傲慢な超大国アメリカにまで楯突いたことさえあるこの国の人々の気概には、脱帽するしかありません。繊細な自然界の仕組みを大切に維持することより、目先の金儲けを優先してはばからないアメリカ追従型の国では、ほとんど例外なくその影響が人々の心のあり方にまで及んでいます。
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地球の裏側の国から
カリフォルニアへ
(1980)

ウルグアイ、ペルー、
カリフォルニア

=大集団での長期視察旅行=

コース概略赤字は宿泊地
  ロスアンゼルス〜サンディエゴ
〜ティファーナ〜
ロスアンゼルス
〜ヒューストン〜マイアミ
〜リオ・デ・ジャネイロ〜サン・パウロ
〜ポルト・アレグレ〜
モンテヴィデオ
〜ブエノスアイレス〜
リマ
トルヒーヨリマ〜メキシコシティ
〜ロスアンゼルス〜
ヴァイサリア
サンフランシスコ
(1980.10.8 〜 11.6)

MAP(南北アメリカ)


仕事関係の視察旅行ですが、私にとっては、事実上初めての海外旅行ということになります。50人の大集団である上、国によっては夜半過ぎまで拘束される始末で、日頃から規則正しい毎日が習慣化している私は生活のペースを大きく乱されることが多く、かなり辛い毎日でした。

当時は
ドル=240円の時代で、旅費の半額負担もかなりの重荷でしたが、今となってみれば、滅多に訪れることのできないラテンアメリカの雰囲気を直接感じることができたのは、貴重な体験だったとも言えます。

ただ、
ヶ月の中で完全なフリータイムが合わせて僅か日しかなかったのは、どう考えてみても少な過ぎました。そのせいか、50歳を過ぎていたこのとき既に「隙あらば独り歩きを・・・」という姿勢が目立っていた向こう見ずでわがままな私でした。


以下、ミニ画像をクリックすれば、
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ティファーナ〜モンテヴィデオ
 国境の町ティファーナの
 ソンブレロ売り
 トラブル続出で怖かった
 ブラジルクルゼイロ航空機
 モンテヴィデオ
 朝日を浴びるモニュメント
 モンテヴィデオ
 ウルグァイ国会議事堂
 ウルグアイ独立の志士
 アルティガスの像
 どっしりとした建築の
 モンテヴィデオ市庁舎
 ローカル線を走る
 旧式のディーゼル機関車
 ローカル線の無人駅
 
18 de Mayo
 モンテヴィデオ郊外の
 田舎道
 モンテヴィデオ郊外の村
 バスを待つ人々

ロサンゼルスからモンテヴィデオまでは14時間ほどの長〜い移動でした。その上リオ・デ・ジャネイロ空港では、ブラジル国内を飛ぶクルゼイロ航空の機体がトラブルを起こし、一度はそのまま離陸しようとさえしたのです。結局は機体を替えて出発しましたが、数時間待たされるなどいかにもラテン系らしい呑気さでした。日本ならマスコミを賑わす大事件になっていても不思議はなかったでしょう。

ウルグァイは日本からみて地球のほぼ反対側にあり、かつてイギリスとアルゼンチンが戦ったフォークランド諸島からもさほど遠くない小国ですが、治安はしっかりしていました。スペインの植民地だった頃の名残が町のそこかしこに見られ、町ゆく人々を見てもヨーロッパ系の顔をした人が多かったように思います。ドアやボンネットがない車が堂々と町のど真ん中を走っている光景は、車を必死になって磨く日本人と比べてたいへん愉快に感じました。

少しでも集団から脱出したい私は僅かな自由時間を利用した田舎への小旅行に出掛けましたが、中々いい気晴らしになりました。駅の時刻表で往復可能な所を調べて出掛けたのですが、旧式のディーゼル機関車が引くローカル線の列車の車掌は、ビヤ樽のような巨体を揺すりながら、東洋からのお客にも陽気に応対してくれました。


リマ〜トルヒーヨ
    リマへの機上から
 荘厳なアンデスの夕暮れ
 リマ近郊の太平洋岸
 パチャカマックの遺跡
 パチャカマックの遺跡
 反響を利用した会議場跡
 リマ郊外の乾燥した砂丘
 消えない幾何学模様
 リマ郊外の丘に張り付いた
 貧民の住まい
 リマの街角にたたずむ
 インディオの人々
 リマの街角で
 お客を待つ露天商
 国立考古学博物館の
 陳列品
 トルヒーヨ郊外
 チャンチャンの遺跡の壁
 トルヒーヨの街角
 三輪自転車を押す母親
 ペルーの伝統的な織物
 民族楽器の演奏をする
 ペルーの人々
 郊外のワンチャッコ海岸
 葦造りの漁船トトーラ

日本とのスケールの違いは、モンテヴィデオからブエノスアイレスまでラプラタ河の河口を、プロペラ機による斜め横断とはいえ40分もかかったことでよく分かります。このあとリマまでのペルー航空機は、気流の関係もあったのか非常に安定していて、雲海の彼方にアンデス山脈が輝いていたのがひどく印象的でした。

リマの最初の夜はちょうどカーニバルだったようで、深夜まで人々の歓声が町に鳴り響き、中々寝付けませんでした。

面白い話が一つあります。リマ郊外の砂漠地帯に囲いを造りそこに
年間住むと、その土地をタダで自分のものにできるという制度があるそうです。実際あちこちに旗を立てた囲いが見られました。日本でこんな制度があったらどうなることでしょう?

もっとも、敗戦時の東京では、勝手に土地を占拠してそのまま居座り、のちに大富豪に化けた人々も少なからずいたそうです。何しろ空襲で戸籍関係の書類などもほとんど焼けてしまったため早い者勝ちだったという訳で、いつの世も正直者がバカを見る一つの例です。

リマもそうですが、当時のペルーでは「輝ける道」という反政府グループの活動が盛んなためかなり危険な状況で、滞在先のホテルから単独での外出はできませんでした。また水質が極端に悪く消化器系を病むメンバーが続出し、ご多分に漏れず私も一晩苦しみました。

そのため、飲み物はコカ・コーラかお汁粉のようにどろどろした濃いコーヒーしかなく、胃腸にとっては滅多にない受難の日々でした。

なお、ペルーの学校は原則としてその地域の人々が支える形を取っているため、設備などの格差がとても大きいようです。豊かな家庭の子どもは私立の学校に通います。日本もだんだん似てきましたね。
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ロサンゼルス〜サンフランシスコ
 移動中のバスから
 カリフォルニアの大平原
 深い雪で入口から覗くだけ
 だったヨセミテ国立公園 
 ハロウィーンの仮装を
 した大学生たち
 サンフランシスコ・オーク
 ランド・ベイブリッジ
 かつては重罪人の収容所
 だったアルカトラズ島
 太平洋への湾口を飾る
 ゴールデンゲイトブリッジ
 金門橋公園に建つ
 咸臨丸記念碑
 古い歴史を持つ
 サンフランシスコの中華街
 サンフランシスコの
 ウォーターフロント
 回の運賃25セントの
 市民の足ケーブルカー
 湾内のクルーズを楽しむ
 観光客たち
 クルーズ船から眺める
 サンフランシスコ市街

ヴァイサリアは完全に仕事関係なので、写真の掲載は取りやめます。

サンフランシスコまでの移動の途中でヨセミテ国立公園に寄りましたが、この年のヨセミテは非常に雪が深かったため、奥に入ることはできず残念でした。途中の森に繁るセコイアの巨大さに驚かされました。

視察旅行の最後になってやっと手にしたサンフランシスコ滞在中のフリータイムはフルに活用しました。先ずサンフランシスコ名物のケーブルカーでウォーターフロントに行き、ギラデリ・スクェアを経てベイクルーズの発着所に向かいました。湾内を一周して下船後近くのカフェテリアで昼食を摂り、海洋博物館を見学してからまたケーブルカーで中心街のマーケット・ストリートに向かったのです。新しく登場した無人運転の電車
BARTに乗るためです。元々熱烈なレールファンである私には出発前から目的がありました。一つは当時最先端のコンピューター制御の郊外電車バート、もう一つは新型の路面電車ムーニーです。

BARTは南北方向だけ乗ってみました。驚いたのは、終点のリッチモンドで降りてみても駅の周辺にはほとんど何もなく、自転車が並んでいるだけだったことです。「なるほど、車中心社会のアメリカだな」と思いました。

ここから反転してムーニーを見るため南に向かったところ、ある一駅を境にトンネルやプラットホームの様子がガラっと変わってしまったのです。暗く陰惨な感じでした。あとで調べてみたら南は黒人居住地域ということで、見事な人種差別がまだ根強く生きているのがアメリカという国なのだと再認識させられました。

こうして30日間の視察が終わりました。その中でつくづく考えさせられたのは、一部メンバーの視野の狭さと「俄か成金根性」です。

視野の方は一朝一夕に広がるとは思いませんが、成金根性をむき出しにする一部のメンバーには随分恥ずかしい思いをさせられました。ペルーの人々の貧しい生活振りを見てことごとに軽蔑し、それを露骨に言動に表すのです。現地の人々に言葉は分からなくても、表情や雰囲気から侮辱を感じたに違いありません。身なりや生活振りが貧しくても懸命に生きている人々を見下すなど傲慢過ぎます。金持ちであるからといって人間が立派な訳ではないのに。こうした人々に限って、上司や地域の有力者、権力を持つ者相手ではペコペコとするのです。

今や益々カネが全ての「金(カネ)本位主義」に走っている日本ですが、このままでは永久に世界の国々からの尊敬は得られないでしょう。アメリカの指導層が持つ価値観を世界最高のものと信じ込み、国情の違いを無視して何でも真似をし続ける先には、どんな未来が待ち受けているのか、何となく想像できました。そして
21世紀を迎えた今、社会環境も含めてほとんどそのとき想像した通りになっています。いくら「世界第三の経済大国」と言ってみても、汚職や詐欺が横行し凶悪犯罪が激増する状況では、真の意味で「豊かな国」などとは誇れないでしょう。(この文を書いたのは2004年ですが、現在の状況はもっと深刻になっていますね)

サンフランシスコでの朝食は中々よく、特にデザートに出されたメロンの美味しさは格別で、帰国してからまた注文したくらいです。それ以来今まであのような美味しいメロンは食べたことがありません。

サービスの良かったパンナム航空もとうになくなり、アメリカそのものも建国の精神はどこへやら、史上最悪の好戦的な大統領の下での戦争大国、地球環境破壊大国の「唯我独尊」体質に変わってしまいました。核のない世界を目指す新しい大統領が、これをどう変えていくかで世界の命運が決まることでしょう。(残念ながら、更にひどい知性を欠く大統領が出現した今では、人類の生存そのものが危うくなっています)
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鉄道で巡るスイスの旅
(2001)

アレッチ、ヴァリス、レマン
ゴールデン・パス



 コース概略赤字は宿泊地
  チューリッヒ〜ゲッシェネン
アンデルマット〜フィーシュ
〜エッギスホルン〜フィーシュ
〜ブリーク〜
サース・フェー
〜サース・グルント〜
サース・フェー
〜ブリーク〜マルティニ
〜ル・シャトラール〜エモッソン湖
〜ル・シャトラール〜マルティニ

モントルー〜ヴェヴェイ
〜モントルー〜ツバイジンメン
〜シュピーツ〜インターラーケン
グリンデルワルト〜マイリンゲン
〜ルツェルン〜
エンゲルベルク
〜チューリッヒ
(2001.9.17〜9.26)


MAP(スイス全図)



お気づきかも知れませんが、この旅は世界を震撼させた9.11テロの直後の旅です。テロリストもスイスの銀行にはかなりお世話になっているはずなので、私が利用するスイス航空が狙われることはなかろうという都合のいい判断のもとに出掛けました。


以下、ミニ画像をクリックすれば
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MAP(ヴァリスと周辺)

アンデルマット〜フィーシュ
 成田空港の
 スイス航空機
 早朝の
 アンデルマットの町
 アンデルマット
 朝日が眩しい雪山
 フィーシュへの車窓から
 朝の沿線風景
 エッギスホルン
 山頂直下の避難小屋
 エッギスホルンから
 端正なアレッチホルン
 
 アレッチ氷河と裏から
 見るユングフラウ三山
 エッギスホルンから
 カンデルシュテーク方面
 エッギスホルンから望む
 遙かなマッターホルン
 ローヌ川越しに見る
 イタリア国境の山々

度目のスイス独り歩きは初日の強行軍で始まりました。というのは、夕方チューリッヒに着きそのままそこに泊まると、翌日がただの移動になる上、大都市で一夜を過ごすよりアルプスの十字路と呼ばれるアンデルマットまで足を延ばす方が魅力的だったからです。空港駅18:43発の電車に乗り、途中チューリッヒ中央駅、アルト・ゴルダウ、ゲッシェネンで乗り換えてアンデルマットに着いたのは21時過ぎでした。何とチラホラ雪が舞っていたのです。

翌朝、有名な氷河急行ではなく各駅停車でフィーシュまで行き、
2869mのエッギスホルンに登りました。ここはアレッチ氷河の展望台の一つですが、氷河もさることながらユングフラウ三山を裏側から眺めるのは不思議な感じがしました。目の前には4195mのアレッチホルンが堂々たる姿を誇り、振り返ると遙か彼方にあのマッターホルンが浮かぶ素晴らしいビューポイントでした。山腹を歩いて隣駅に下るコースを予定していたのですが、雪が思ったより深いので断念し元のコースをフィーシュまで戻りました。

ブリークからはポストバスで、ツェルマットとは山越しの、まだ鄙びた感じが多少は残っているサース・フェーに向かいました。


サース・フェー〜サース・グルント
 スイスの便利な足の一つ
 ポストバス
 晴れ間が戻ってきた
 サース・フェーの村
 ミシャベル山群の最高峰
 朝日を浴びて光り輝くドム
 ホーサースへの入口
 サース・グルントの村
 始発のゴンドラから
 明けゆくホーサース
 ホーサースから望む
 ワイスミース
 ホーサースの頂上
 レストランへの通路
 ミッテルアラリンへの
 地下ケーブルカー
 ミッテルアラリン頂上駅
 の高度表示
 ホテルのサービス
 アルペンホルンの演奏

サース・フェーはかつては秘境と呼ばれた所で、簡単に入ることはできませんでした。現在ではもう当時の面影はほとんどなく、宿泊や観光のための施設も充実しています。この村を囲むミシャベル連峰の山々は、ツェルマットにおけるマッターホルンのように有名ではないものの、どれも4200m前後の高さを持ち、主峰のドムなどは4500mを超えています。

早朝のバスでサース・グルントまで行き、始発のゴンドラでクロイツボーデン経由ホーサースに登りました。乗客は私だけであとは頂上レストランの従業員と保守要員だけでした。これで見晴らしが良ければ申し分ありませんが、今回のスイスは天候がそろそろ怪しくなる頃で、チラとでも山が見えたら幸運という状況でした。

この後サース・フェーに戻り、定番のミッテルアラリンに登りましたが、たまたま日が差して、一面の銀世界が眩しかったです。

夕方ホテルでアルペンホルンの演奏があり、独特の音色に耳を傾けアルペン気分に浸ることができました。、


マルティニ〜エモッソン湖
 マルティニ駅で発車
 直前のモンブラン特急
 ル・シャトラールからの
 窓なし急勾配のケーブル
 エモッソン湖への関門
 恐怖のトロッコ軌道
 可愛いトロッコ列車と国
 境越しのモンブラン山群
 トロッコ列車から見る
 モンブラン山群
 奈落の底から這い上がる
 湖へのミニケーブルカー
 静かな水面を見せる
 エモッソン湖

モンブランを見るためシャモニまで入るのは日程的にきついので、エモッソン湖に登って国境越しにモンブランを眺めることにしたのが幸いし、珍しい乗り物をつも経験することができました。寒風が容赦なく吹き抜ける窓ガラスのないケーブルカーの急勾配に驚かされ、落ちれば千仭の谷底のトロッコ列車、それに文字通り”奈落の底”から這い上がるようなミニケーブルと十分に楽しめました。

湖に着いた頃は雲がかかってモンブランも見えませんでしたが、簡単には訪れることができない場所だけに、有意義な寄り道だったと思います。
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レマン湖畔とゴールデン・パス
 朝のレマン湖
 岸辺に置かれた花
 レマン湖畔に立つ
 シヨン城の望楼
 ネスレ本社もある
 ヴェヴェイに到着
 ヴェヴェイの湖畔に立つ
 喜劇王チャップリンの像
 ゴールデンパスの花形
 パノラマ急行の展望車
 ゴールデンパス沿線の
 のどかな風景
 緩やかな起伏を見せる
 パノラマ・エクスプレス
 沿線の風景

パノラマ急行に乗る目的でモントルーに泊まりました。早朝にはシヨン城までバスで行き、帰路はレマン湖沿いの「花の散歩道」をぶらつきましたが、まだパノラマ急行の発車には時間があるので、ついでに電車でヴェヴェイまで足を延ばしチャップリンに会うことにしました。できればオードリー・ヘップバーン博物館のあるローザンヌまで行きたかったのですがそれほどの時間はなく、パノラマ急行に乗ってインターラーケンに向かいました。シュピーツまでの沿線は至極のどかなもので、先頭の展望車でイギリスの観光客たちと一緒に展望を楽しんだものです。 


MAP
(ベルナーオーバーラント)

グリンデルワルトとその周辺
 グローセシャイデック
 からフィルストへの道
 ハイキングコースわきを
 流れ落ちる雪融け水
 嶮しい岩肌を見せる
 ヴェッターホルン
 ハイキングコースわきに
 姿を見せたマーモット
 ようやく近づいた
 フィルストの展望台
 バッハアルプゼーへの
 雪に覆われた道
 バッハアルプゼーと
 霞むシュレックホルン
 静かなたたずまいを見せる
 ウェンゲンの村
 ウェンゲンから見上げる
 メンリッヒェンの丘
 グルントから見上げる
 ヴェッターホルン
 霧が流れる
 秋のラウター谷
 絶壁に囲まれた字谷
 ラウター谷の黄葉
 ラウター谷に流れ込む
 トリュンメルバッハの滝
 轟音とともに地中を走る
 トリュンメルバッハの滝
 雨に煙る
 ミューレンの村

前述のように9.11テロの直後だったため、普通なら日本人の団体が殺到するグリンデルワルトも閑散としていて、好天ならさぞ楽しめたのにと今でも残念な気がします。

早朝のバスでグローセシャイデッグまで行き、そこから合わせて
時間ほどのハイキングを計画していました。フィルストまでは、ヴェッターホルンからアイガーに至る山々を目にしながら2000mの高所を歩くコースですが、この日は曇りがちで鮮やかな眺めとはいきませんでした。

フィルストに着く頃からチラホラ雪が舞うようになりましたが、昼食後
10cmくらいの積雪を踏んで山上の湖バッハアルプゼーに行ってみました。シュレックホルンを湖面に映すこともなく残念でした。私がフィルストに帰って間もなく、バッハアルプゼーへのコースは通行禁止になり、滑り込みセーフという状況になってしまったのです。

翌日は方向転換してミューレンに向かいシルトホルンに登りましたが、ここも小雨模様で展望は全く利かず、今度は下ってラウター谷のトリュンメルバッハの滝を目指しましたが、これは中々の迫力でした。地中を轟音とともに流れる滝はニュージーランドのテ・アナウで経験して以来久し振りです。


マイリンゲンと雨のエンゲルベルク
 小雨降る マイリンゲン
 アーレシュルフトの入口
 マイリンゲンの名所
 激流アーレシュルフト
 アーレシュルフトの奇観
 僅か
1mの岩の隙間
 アーレ・シュルフトの
 激流に落ちる滝
 霧雨に煙る
 エンゲルベルク
 ルツェルンとエンゲルベルク
 を結ぶ
LSE
 チューリッヒ
 リマト川とケー橋
 チューリッヒ リマト川と
 グロスミュンスター大聖堂

マイリンゲンではシャーロック・ホームズ博物館を見たあとアーレ・シュルフトに行きました。巨大な岩が僅か1mの隙間を作っている奇妙な地形で、結構迫力がありました。

エンゲルベルクには
3000m級のティトリスという山があり、そこでのハイキングも楽しみの一つでしたが、いかんせんこの頃は既に雨も本降りに近くなっていて、見知らぬ地で一夜を過ごしただけになりました。でも、ホテルのオーナーとコーヒーを飲みながらの雑談は楽しかったです。


チケット
 フィーシュ〜エッギス
 ホルン間の
 往復チケット
 サース・グルント
 〜ホーサース間の
 往復チケット
 サース・フェー〜ミッ
 テルアラリン間の
 チケット
 ル・シャトラール
 〜エモッソン湖間の
 通しチケット
 パノラマエクスプレス
 のチケット
 グローセシャイデッグ
 へのバス乗車券
 フィルストへの
 ゴンドラのチケット
 スイスの
 ICテレフォンカード

テロとは関係なく、計画する前からこの旅を最後に海外旅行を終わりにするつもりだったので、プランも念入りに作りかなり楽しめる筈だったのですが、いかんせんヨーロッパ大陸も異常気象に見舞われていて、比較的安定する筈の月が雨続きになってしまいました。

そのため、サース・フェーやエンゲルベルクでのハイキングの予定は大幅に狂い、山の写真も晴れ渡った気持ちよいものはほとんど撮れなかったのが残念でなりません。


この年のスイスは、前回(99年)とは違い天候が思わしくなかったため、プランを変更する場面が少なくありませんでした。その代わり、9.11テロ直後の関係で人が少なく、“スイス銀座”のグリンデルワルトでもさほどの混雑もなく、気持ちよく過ごすことができました。

天候に恵まれなかったとは言え、今回も独り歩きの楽しさの点では前回に劣らず、エモッソン湖のようなツアーでは先ず絶対に行けない所も経験できて満足でした。一応国内の旅に切り替えた現在ですが、本心を言えばまだまだ海外で訪れたい所は少なくありません。山が恋人である私にとっては、やはりスイスやニュージーランドが一番です。

結局、
年後の2007年にに77歳の一人旅でまたヨーロッパに行きましたが、趣向を変えて悪天候でもさほど支障のない町歩きということで、旧東ヨーロッパを鉄道で回ることになりました。(中欧都市巡り)
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初めてのヨーロッパ
オーストリア〜スイス
(1984)

ウィーン、ドナウ、ザルツブルク
ベルナー・オーバーラント



コース概略赤字は宿泊地
  ウィーン〜クレムス〜メルク
ザルツブルクインスブルック
〜ミュンヘン〜
サン・モリッツ
〜ブリーク〜レッチェンタール
〜カンデルシュテーク
〜インターラーケン
グリンデルワルトルツェルン
(1984.8.5 〜 8.16)

MAP



以下、ミニ画像をクリックすれば、
拡大写真が表示されます


ウィーンとその近郊
 ウィーン国際空港の
 到着ロビー   
 ウィーンのショッピング街
 ケルントナー通り
 800年の歴史を誇る
 シュテファン大寺院
 ウィーンのシンボル
 シュテファン大寺院の内部
 オーストリア国会議事堂
 バロック建築の傑作
 ベルヴェデーレ宮殿
 ハプスブルクの夏の離宮
 シェーンブルン宮殿の
 広大な庭園
 歴代皇帝の住まい
 ホーフブルク宮殿
 ウィーン市民が嬉々と
 して踊るワルツの夕べ
 中央墓地近くの
 カール・ルエーガ教会
 大作曲家たちが眠る中央
 墓地、モーツァルトの墓碑
 楽聖
 ベートーヴェンの墓碑
 ワルツ王
 ヨハン・シュトラウスの墓碑
 歌曲の王
 シューベルトの墓碑
 ブラームスの墓碑
 大作曲家を始めとする
 有名人たちが談笑した
 開業
600年のレストラン
 レストランの壁に残された
 名士たちのサイン
 ウィーンの森南端
 バーデンにある
 ベートーヴェンの下宿跡
 12世紀に創建された
 ハイリゲンクロイツ修道院
 ウィーンの森ハイリゲンク
 ロイツの修道院中庭に
 建てられたペスト記念碑
 シューベルトが歌曲集
 「美しき水車小屋の娘」
 を作曲した家

この頃はまだシベリア経由の空路はなく、ヨーロッパへの便は北回りか南回りのどちらかに限られていました。最初の経由地であるアラスカのアンカレッジから次のロンドンまでは、北極の上空を横切って飛びます。

30年以上も前のことで記憶も薄らいでいるためあまり細かいことまでは書けませんが、フランス海岸から大陸に入りフランクフルト、そしてウィーン郊外の畑を間近に目にしたときは、初めて目にするヨーロッパの大地にひどく興奮を覚えたものです。

ウィーンは、かつて勢威を極めたハプスブルク王朝の栄華の都として多くの優れた文化遺産を誇っています。音楽の面に目を向ければ、もちろん大作曲家たちがめざましく活躍した場であり彼らの足跡が至る所に見られます。郊外には有名なウィーンの森があり市民の憩いの場となっています。

ウイーン、ザルツブルクに関しては、次回掲載される「中欧都市の旅」に鮮明なデジタル画像が多数掲載されています。 

ドナウ河と湖水地方
 ワインの産地クレムスで
 ドナウ河のクルーズ船
 広々としたドナウ河の
 悠々たる流れ
 ドナウの岩壁上に建つ
 メルクの修道院
 ドナウ河バッハウ渓谷河
 畔のデュルンシュタイン城
 岩塩地帯の風光明媚な
 ハルシュタット湖
 ザンクト・ウォルフガング
 モーツァルトの従姉
 ミューラーの家
 

ウィーン郊外のクレムスからメルクまでは、ゆったりとしたドナウ河のクルーズでした。「バッハウ渓谷」とは呼ばれていても実際は緩やかな流れが続くだけで、日本の渓谷のほとんどに見られるような岩を噛む急流とは全く違います。両岸にはいくつもの小さな町や村があり、その中央には、必ずと言っていいほど教会の尖塔が見られました。

ザルツブルクへの途中いくつかの湖に立ち寄りましたが、そのどれもが静かで落ち着いた雰囲気を保ち、羨ましく感じたものです。


ザルツブルク
 ザルツブルク旧市街と
 ホーエン・ザルツブルク城
 現在は記念館になっている
 モーツァルトの生家
 大聖堂とレジデンツ広場
 レジデンツ広場で食事中
 の観光馬車を牽くロバ
 ゲトライデガッセでヴァイオ
 リンを弾く音楽学校生
 ゲトライデガッセで宗教画
 を描く美術系の学生

ザルツブルクはザルツァッハ川によって新市街と旧市街に分けられています。旧市街の背後にはホーエン・ザルツブルク城が威容を誇り、その下にはモーツァルトの生家、ドームなど多くの史跡があります。売っている物をイメージした個性的な鉄製の看板が通りにはみ出しているゲトライデガッセは、市民で賑わっています。

新市街に建てられたモーツァルテウムでのコンサートに行きましたが、旅行者の悲しさでとても正式の服装などできるはずもなく、多少気が引けました。本場での演奏を堪能できたのが何よりの喜びでした。


インスブルックとミュンヘン
 山の町の雰囲気を漂わせ
 るインスブルック 
 インスブルックの旧市街
 から望む黄金の小屋根
 ハプスブルクの勢威を
 誇る黄金の小屋根
 ミュンヘン近郊の
 水清き噴水庭園
 バイエルンの王家の離宮
 ニンフェンブルク宮殿
 ニンフェンブルク宮殿の
 天井画
 隅々まで復元された
 ミュンヘンの新市庁舎

インスブルックは山を間近に望む松本と似た雰囲気を持つ町でした。400m四方の狭い旧市街には、ハプスブルク王朝の権力を誇示する目的で造られた「黄金の小屋根」があり、観光客で賑わっていました。

チロルの山里の雰囲気はスイスにも似ていたような記憶があります。あの名画「サウンド・オブ・ミュージック」がここを舞台に撮影されたのも、至極当然のように思います。

ミュンヘンでは巨大なビアホールでドイツ人たちに歓待されましたが、これまた巨大なソーセージが山盛りのおつまみにはお手上げでした。また、市庁舎を新築する際にも、元の建物と全く変わらぬ形にするだけでなく外壁の汚れまでもそっくりに復元したそうで、こうしたヨーロッパ的な考え方は、ひたすら効率だけを追求するアメリカ的価値観とは到底相容れないものだと思います。
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サン・モリッツと氷河急行
 氷河急行の出発駅
 サン・モリッツ駅
 氷河急行沿線の
 のどかなアルプの風景
 アルプを縫って走るスイス
 の代表列車氷河急行
 氷河急行のループ線から
 見下ろすアンデルマット
 氷河急行旧線随一の
 絶景ポイント、ローヌ氷河
 が迫る氷河湖

プロフィルでも述べているように、私は元々レールファンであるため、スイスでも三つの列車に乗ることを楽しみにしていました。残りの二つは後のひとり旅で経験することになりますが、この旅では、氷河急行でサン・モリッツからブリークまで時間の旅を経験しました。

氷河急行は、サン・モリッツからツェルマットまでの
300km足らずをおよそ時間かけてのんびりと走る列車で、速さを売り物にするビジネス列車ではありません。山や野原、氷河湖など風光明媚な沿線を十分に楽しめるよう、展望車や食堂車も連結されています。アップダウンが激しいため、場所によってはラックレールを用いています。

最下
段の写真に示された氷河湖は現在はもう見ることができません。現在では洪水などによるトラブルを避けるために掘られたトンネルが峠の下を通っています。


ベルナー・オーバーラント
 ブリエンツ湖畔に憩う
 強力な登山用ミニ
SL
 インターラーケン
 彫刻だらけの芸術家の家
 インターラーケン
 花に埋もれる芸術家の家
 グリンデルワルトの玄関
 
BOB駅前広場
 グリンデルワルト、夕暮れ
 近いヴェッターホルン
 霞むアイガーを目指して
 登る登山電車
JB 
 トンネル内の途中駅アイ
 ガーバントから見る山波
 ヨーロッパで最も高い鉄道
 駅 ユングフラウ・ヨッホ
 クレバスが目立つヨーロ
 ッパ最長のアレッチ氷河
 アレッチ氷河と、やっと
 姿を現したユングフラウ
 展望台から望むベルナ
 ーオーバーラントの山々
 クライネ・シャイデッグで
 アルペンホルンの演奏

ブリエンツのSLは、2300m近いロートホルンまで客車を押し上げるため、急勾配に合わせた形になっています。15年後の99年のひとり旅では、この登山鉄道で山頂まで登りました。

グリンデルワルトは、スイスを訪れる人は必ず行く所ですが、ここから
3454mの高所にあるユングフラウヨッホまでの登山電車は、アイガーとメンヒの堅い岩壁を掘削したトンネル区間が半分以上を占めています。こんな大工事が100年近く前に行われたとは驚きですね。

アイガーバントは文字通り有名な魔の山であるアイガーの岩壁に造られた駅で、その窓から外界を眺めるとアイガーの凄さがひしひしと感じられます。


ルツェルン
 ロイス川越しに見る
 旧ルツェルン市庁舎
 ヨーロッパ最古の木橋
 屋根付きのカペル橋
 もう一つの屋根付き木橋
 シュプロイヤー橋
 岩壁に彫られた瀕死の
 ライオン像

中世の面影を残しているルツェルンは、この後更に度訪れる機会がありました。何と言っても目立つのはロイス川にかかるつの屋根付きの橋で、特にカペル橋はヨーロッパで最古、最長の木橋で、梁の部分に多数の絵が飾られています。14世紀に造られた橋ですが、年後の93年に火事に遭い、現在のものは再建後のものです。


チケット
 モーツァルテウムの
 コンサートチケット

憧れ続けていたヨーロッパを初めて訪れるとなれば、私の場合は必然的にこのコースを選ぶことになってしまいます。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ヨハン・シュトラウスなどの音楽家たちの活躍の場であったウィーンに始まり、悠々と流れるドナウや美しい湖を経てスイスアルプスに至るコースは、願ってもないものでした。

グループのメンバーも、趣味と目的を共有するためか皆上品で落ち着いた人々で、事実上初めての海外旅行である私にとってはとても幸運だったと思います。

宝石のように美しいスイスに別れを告げ、いつの日か再びアルプスに対面することを誓いながら帰路につきました。

あいにく帰りは南回りということで、フランクフルトからアテネ、そしてカラチ、バンコクと寄って帰り着いたのです。今でもよく覚えているのはバンコクの空港で給油待ちをしたときのことで、信じられない暑さに失神しそうな思いをしました。私が東南アジアやハワイに全く足が向かなかったのも、この怖ろしい体験からの影響がかなり大きいと思います。並み外れて暑さ嫌いの私ですから。
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