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 中欧都市鉄道の旅 
   ブダペスト・ペスト地区  
   ブダペスト・ブダ地区(王宮の丘)  
   ウイーン・シェーンブルン宮殿  
   ザルツブルク・旧市街 
   ウイーン・リンク通り周辺 1 
   ウイーン・リンク通り周辺 2 
   ウイーン・中心部 他  
   プラハ・ヴルタヴァ川東岸地区 
   プラハ・プラハ城  
   プラハ・カレル橋と旧市街 
 カナダ西部の旅



中欧
都市鉄道の旅
(2007)
ハンガリー〜オーストリア
〜チェ


ブダペスト、ザルツブルク
ウィーン(南西部とリング外周)
ウィーン(リング内中心部)
プラハ


 コース概略赤字は宿泊地
  ブダペストウィーン
ザルツブルク
ウィーンプラハ
(2007.6.18 〜 6.26)


MAP(中欧ヶ国)


 

以下、ミニ画像をクリックすれば
拡大写真が表示されます


MAP(ブダペスト全域)

ブダペスト・ペスト地区
 スキポール空港の
 マレヴ・ハンガリー航空機
 ”ジプシー王の宮殿”とも
 呼ばれた工芸博物館 
 聖イシュトヴァーン大聖堂
 の高さ
96mのドーム
 聖イシュトヴァーン大聖堂
 から望む王宮の丘方面
 アンドラーシ大通りに
 精彩を放つ国立歌劇場
 リストの後継者を育てて
 きたリスト音楽院
 リスト音楽院の
 誇らかな金文字
 街路樹が美しい
 アンドラーシ大通り
 建国1000年を記念して
 建設された英雄広場
 大天使ガブリエルを戴く
 英雄広場のモニュメント
 英雄広場に隣接する
 現代美術館
 ドナウ河畔から見る
 王宮の丘
 ドナウ河畔から見る
 くさり橋と王宮の丘
 石のアーチと鉄で建造
 された頑丈なくさり橋
 くさり橋から見るドナウ
 の流れと王宮の全景
 くさり橋から見る王宮の丘
 へのケーブルと道路トンネル

直行便がないためブダペスト到着は前日の夕方になってしまい、たった一日でブダペスト全域を回らなければならずちょっとした強行軍でした。まず聖イシュトヴァーン大聖堂を目指し、健脚と強い心臓にものを言わせて300段以上の階段を登り、早朝の爽やかな空気の中での眺望を楽しみました。更に地下鉄号線に沿ってアンドラーシ大通りを歩きオペラ座やリスト関係の施設を巡ったあと、ついでに予定外の英雄広場まで足を延ばしました。

その後地下鉄の終点ヴルシュマルティ・テールまで戻り、途中のカフェレストランで軽食を摂ってからくさり橋まで歩き、ドナウ河を行き交うクルーズ船や対岸に堂々とそびえ立つ王宮を眺めたりしました。くさり橋は確かに頑丈な造りですが、中央が車道になっている上両端の歩道が曲がりくねっていて、眺望は片側に限られてしまいます。歩道も自転車が度々曲がり角から飛び出してくるので、十分な注意が必要です。
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ブダペスト・ブダ地区(王宮の丘)
 王宮南端の城門から見る
 ライオンの中庭
 王宮の南端にある
 ブダペスト歴史博物館
 歴史博物館の中庭から
 仰ぐ国立美術館のドーム
 ハンガリー国立美術館
 の正面側
 王宮の丘には似つかわしい
 観光馬車
 改修中が残念だった
 マーチャーシュ教会
 漁夫の砦と初代国王
 聖イシュトヴァーン騎馬像
 漁夫の砦からドナウを
 挟んで見る国会議事堂
 白亜のとんがり屋根が
 特徴の漁夫の砦
 漁夫の砦から
 マーチャーシュ教会の裏側
 王宮北端の城門
 ウィーン門(ベーチ門)
 バッチャーニ広場から
 華麗な国会議事堂
 ドナウ河畔を走るトラム19
 番の車窓から見るくさり橋
 ゲッレールトの丘から
 ドナウの流れとペスト側
 ツィタデラ(要塞)から
 くさり橋とマルギット島
 ブダペスト市民の台所
 中央市場の賑わい
 モザイク模様が珍しい
 中央市場
 荘厳なコリント様式の
 柱を持つ国立博物館
 国立博物館前に立つ
 アラニ・ヤーノシュ像

さて王宮へという段になって、ケーブルカーにブダペストカードによる割引がなくまた混雑していたため、またまた南門までの坂道を歩いてしまい、そこから北端のウィーン門に向かって散策することにしました。歴史博物館も国立美術館も、モンゴルやオーストリア、ドイツ、ソ連などに支配されてきた歴史にもかかわらず、風格を備えた立派な建築でしたが、美術や建築に疎い私にはやはりイタリア同様”猫に小判”に近い状態だったように思います。

期待していたマーチャーシュ教会はあいにく改修中でしたが、漁夫の砦は意外に空いていて、ペスト側やドナウに架かる橋を存分に眺められました。特に、国会議事堂のたたずまいはコチコチの自然派である私が見ても素晴らしいものでした。

ウィーン門から曲がりくねった坂道をバッチャーニ広場まで下り、トラム
19番とバス27番を乗り継いで、ブダ側のもう一つの名所であるゲッレールトの丘に行きました。評判通りドナウ河もペストの市街も一望の下でしたが、住宅地のすぐ近くだったのはちょっと予想外でした。

帰りはバス
27番からトラム49番へと乗り継いで中央市場へ行きました。物の豊富さと値段の安さはさすが市場というところでしたし、選り取り見取りで買った品での夕食は中々美味しかったです。

地下鉄工事のためトラムが途中で打ち切られ、国立博物館やシナゴーグにはまた健脚でということになりました。夜
時頃まで明るいので何の危険もなく、ホテルには時頃帰り翌日のウィーン移動の準備をしました。
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ブダペスト〜ウィーン
 国際列車の発着する
 朝のブダペスト東駅
 ドルトムント行きEC24、フラ
 ンツ・リスト号のコンパートメント
 オーストリア国境付近の
 林立する風力発電機
 ウィーン西駅に到着した
 
EC24、フランツ・リスト号

ブダペストからウィーンまでの時間の旅は、スイスやイタリアでの鉄道旅行に慣れている私にとってもひとしお感慨深いものでした。旧東欧地域で乗る初めての路線であったことが原因かも知れません。

ところで、ブダペスト東駅ではいかにものんびりした場面に遭遇しました。駅の窓口が
ヶ所あるのですがヶ所は閉まり、他のヶ所は開いているものの係はのんびりとコーヒーを飲んでいて、窓口に乗客がいてもそ知らぬ顔なのです。最後に残った窓口には韓国人のカップルと中国人の三人連れが、入れ替わり立ち替わり顔をだしては特急券の申し込みでもしていたようです。係も一応コンピューターに向かってはいるもののこれが随分古いものらしく、窓口が空くまで30分以上もかかってしまったのです。私もちょっとした質問があったのですが、諦めて列車に乗り込みました。

このブダペスト東駅で、
2015年にシリアからヨーロッパへの多くの避難民が国際列車に乗ろうと殺到したのはまだ記憶に新しいことですね。
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MAP(ウィーン広域)

ウィーン・シェーンブルン宮殿
 シェーンブルン宮殿
 混雑する正門前
 工事中のシェーンブルン
 宮殿の正門中庭
 シェーンブルン宮殿
 正面入口
 シェーンブルン宮殿
 鏡の間
 シェーンブルン宮殿の
 庭園とグロリエッテ
 庭園から見る高貴な色
 のシェーンブルン宮殿
 きれいに手入れされた
 シェーンブルンの庭園
 シェーンブルンの庭園
 水瓶を支える乙女の像
 シェーンブルンの庭園から
 ネプチューンの泉
 グロリエッテへの登り道
 から見るシェーンブルン宮殿
 戦没者慰霊パビリオン
 グロリエッテ
 グロリエッテ内部の
 品のよい装飾
 宮殿の庭への下り道から
 グロリエッテの全景
 側面から見る
 ネプチューンの泉
 庭園側から見る
 シェーンブルン宮殿

ブダペストからの国際列車でウィーン西駅に到着後構内のビュッフェで昼食を摂り、地下鉄を乗り継いでホテルに到着し、荷物を預けてリュック一つでシェーンブルン宮殿に向かいました。ここはウィーン市内でも南西部にあり中心街とは離れているので、ここを先に訪れておけば、翌日ザルツブルクから帰ったあと残りの施設を回りやすくなると思ったのです。

シェーンブルン宮殿も工事中でした。でも、宮殿内を見学した後回った庭園側は全く無傷で、見事な花壇と多くの白い石像、宮殿とグロリエッテの向き合う素晴らしい眺めにしばし感動させられ、早速グロリエッテに向かって歩きはじめました。

グロリエッテでは、美味しいモーツァルトトルテを味わいながらひと休みし、目前に広がる宮殿とウィーンの市街の眺めを堪能してから下ったのですが、気が付いてみると靴が真っ白になっていました。庭園に敷き詰めてある細かい砂利が犯人だったようです。

やはりシェーンブルン宮殿は素晴らしい宮殿でした。何と言っても、あの「マリア・テレジアの黄色」と呼ばれている宮殿の上品な外壁がそう感じさせるのだと思います。
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ウィーン〜ザルツブルク
 ザルツブルク行きIC544
 モーツァルト号の発車案内
 モーツァルト号の車窓から
 緑の農地と白壁の家
 ザルツブルク近郊の
 農村風景
 ザルツブルク中央駅

ウィーンからスイスやドイツに通じるオーストリア第一の幹線だけに、快適なザルツブルク行きでした。コンパートメントまで昼食を運んでくれ、窓外の景色を楽しみながらゆっくり味わうことができました。
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MAP(ザルツブルク市街)

ザルツブルク・旧市街
 中央駅近くの公園に立つ
 皇妃エリザベートの像
 ミラベル庭園から見る
 ホーエン・ザルツブルク城
 現在は市庁舎となっている
 ミラベル宮殿
 モーツァルトが14年間
 住んだモーツァルトの家
 モーツァルト愛用の楽器
 84年にモーツァルトを
 聴いたモーツァルテウム
 オペラやオペレッタを
 演じるマリオット劇場
 マカルト小橋から旧市街と
 ホーエン・ザルツブルク城
 
 カラヤン広場、大司教の
 馬専用の水飲み場
 祝祭劇場と
 ホーエン・ザルツブルク城
 ドーム広場から仰ぐ大聖堂
 レジデンツ広場と
 旧市街最大のドーム
 レジデンツ広場の
 ネプチューンの泉
 モーツァルト広場に立つ
 モーツァルトの像
 カピーテル広場と
 聖ペーター教会
 カピーテル広場の
 ネプチューンの噴水
 ホーエン・ザルツブルク
 城の望楼
 ホーエン・ザルツブルク城
 からドーム周辺と旧市街
 ホーエン・ザルツブルク城
 からザルツァッハ川と市街
 ホーエン・ザルツブルク城
 の裏に広がる風景
 ホーエン・ザルツブルク城
 の砲台跡
 鉄製の看板が名物の
 繁華街ゲトライデガッセ
 レストラン・シュテルン
 ・ブロイの鉄製看板
 ザルツブルクの至宝
 モーツァルトの生家
 モーツァルトの生家の
 誇らかな金文字

ブダペスト以来ずっと暑かったのが、ここでは霧雨が降り少しだけ涼しくなって一息つけました。グループツアーだった84年とは違い今回は自由に歩けるので、小さな町でもありほとんどの施設に足を運びました。ここでも多少の工事はありましたがそれ程支障はありませんでした。

旧市街はこじんまりとまとまっていて、その中に多くの特徴的な建物があります。レジデンツ広場は前に比べると整備されていました。今回は
84年には行かなかったホーエン・ザルツブルク城にも行くことができました。

ホーエン・ザルツブルク城に登り、その眺望の良さとともに、天然の要害であることを知りました。旧市街もザルツァッハ川も一望の下でした。

最後に数百年前からの鉄製の看板で有名なゲトライデガッセを歩きました。ご覧の通り独創的なものが多く、一つ一つに思いが込められています。ただ目立てばよいとけばけばしい色使いで押しつけがましく町並みとの調和など全く念頭にない日本の看板の貧しさと比べると、正に雲泥の差としか言いようがありません。

旅ではどうしても野菜が不足がちになるので夕食はゲトライデガッセのカフェレストランで摂り、山のようなサラダで野菜をたっぷり補給しました。料理の味もよく、何よりも自分の食べたいものを適量に選ぶことができる点、一般のレストランよりも便利な上に安上がりです。
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MAP(ウィーン中心部)

ウィーン・リンク通り周辺 1
 ザルツブルク中央駅の
 
IC547ヒトラディオ号
 白い尖塔が美しいネオ
 ゴシックのヴォティーフ教会
 ノーベル受賞者輩出の
 名門ウィーン大学正面入口
 ベートーヴェンが住んだ
 パスクァラティハウス
 107mの尖塔が目立つ
 ウィーン市庁舎(工事中)
 ヨーロッパでも屈指の
 芸術の殿堂ブルク劇場
 中世の馬車と最新型トラム
 花形交通機関の競演
 国会議事堂前に立つ
 大理石のアテナの女神像
 開放的な雰囲気の
 オーストリア国会議事堂
 市民庭園から垣間見る
 ヴォティーフ教会の尖塔
 市民庭園から見る
 隣接のブルク劇場
 市立公園そば、ルネッサ
 ンス様式の応用美術館
 イギリス式庭園
 市立公園の入口
 市立公園の見事な花壇
 市立公園の名物、金色の
 ヨハン・シュトラウス像 
 ヴァイオリンを弾くワルツ王
 ヨハン・シュトラウス
 ベートーヴェン広場
 楽聖ベートーヴェンの像
 ウィーン交響楽団の本拠
 コンツェルトハウス
 バロック建築の傑作
 カールス教会
 カールス教会前に広がる
 カールスプラッツ

ザルツブルクからウィーンに戻り、中心部リング周辺のいくつかの施設を回りました。最も期待していたヴォティーフ教会と市庁舎が工事中だったのにはガックリしましたが、ウィーン大学から国会議事堂に至る建築物はさすがと思わせるたたずまいで、ハプスブルク帝国の首都だったことを如実に感じさせてくれました。

王宮の隣にある市民庭園(フォルクス庭園)にはちょっとだけ立ち寄り、すぐトラム
番でリングを半周して市立公園に向かいました。もちろん、お目当ては金色のヨハン・シュトラウス像です。ところが、実は上に載せてある写真を撮るまでにはかなりの忍耐を強いられたのです。と言うのは、中国人のツアーグループがこの像に張り付いて、一向に離れてくれないのです。中には像の台に腰掛けてポーズをとり、そのままずっと動かない若い女性までいて、周りにいる他の観光客や市民も冷めた目で眺めるしかありませんでした。ちょうど2,30年前の日本のツアーグループの姿です。辛抱の甲斐あって何とかよい写真を撮ることができました。

市立公園をあとに、ベートーヴェン広場からコンツェルトハウス、カールス教会と歩きました。カールス教会はご覧の通りの素敵なバロック建築で、つくづく訪れてよかったと思いました。

リングの残りの部分はこの翌日に一
日かけて回ることになります。
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ウィーン・リンク通り周辺 2
 シュヴァルツェンベルク広場
 の爽快な朝の表情
 ウィーン市民の便利な足
 シュトラッセンバーン
 王宮庭園前に立つ
 偉大な詩人ゲーテ像
 王宮庭園に立つ
 フランツ・ヨーゼフ皇帝像
 王宮庭園の心安らぐ
 プロムナード
 王宮庭園のモーツァルト像
 王宮庭園のモーツァルト像
 とト音記号模様の花壇
 ハプスブルクの権威の象徴
 新王宮の正面
 王宮前英雄広場に立つ
 カール大公の騎馬像
 王宮側から見るブルク門
 新王宮、民族学博物館
 新王宮と
 オイゲン公騎馬像
 王宮中庭
 旧王宮とフランツ二世像 
 マリア・テレジア広場
 自然史博物館
 マリア・テレジア広場
 美術史博物館
 
 マリー・アントワネットの母
 マリア・テレジアの像
 ウィーン絵画が展示される
 ムゼウムス・クヴァルティーア
 庶民の憩いの場
 フォルクス劇場

この日は終日ウィーン中心部を回る予定になっていました。トラムでシュヴァルツェンベルク広場まで行き、そこからはのんびり歩いて王宮庭園から王宮に移動したのです。かつて数百年にわたりこの地域に君臨したハプスブルクの勢威は、多くの壮大な建築からも十分に感じられます。

すぐ近くにはマリア・テレジア広場があり、マリア・テレジアの像が立っています。広場を挟んで向かい合う美術史博物館と自然史博物館も堂々としたものでしたが、内部を見学するほどの時間はないためそのまま先へと向かいました。
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MAP(ウィーン広域)
MAP(ウィーン中心部)

ウィーン
中心部とベルヴェデーレ宮殿
 800年以上の歴史を持つ
 シュテファン大聖堂の周辺
 シュテファン大聖堂の下部
 シュテファン大聖堂の上部
 シュテファン大聖堂で
 行われていたミサの光景
 ケルントナー通りから見る
 シュテファン大聖堂
 グラーベン通りに建つ
 ペスト記念柱
 グラーベン通りから見る
 ペーター教会
 広々とした繁華街
 グラーベン通り
 ウィーン随一の繁華街
 ケルントナー通りの賑わい
 皇帝、皇妃などハプスブ
 ルク家ゆかりの人々が眠
 るカプツィーナ教会
 世界でも三本の指に入る
 ウィーン国立歌劇場
 ベルヴェデーレ宮殿
 上宮への入口
 オイゲン公の夏の離宮
 ベルヴェデーレ宮殿上宮
 ベルヴェデーレ宮殿
 上宮の全景
 ベルヴェデーレ宮殿裏の
 フランス式庭園と下宮
 ベルヴェデーレ宮殿と
 庭園の守護神ペガサス
 ブルク劇場内部の
 精緻な装飾
 ブルク劇場
 
階ロビーへの階段
 ブルク劇場の
 豪華な観客席

王宮近辺を歩いてから、いよいよリング中央を訪れました。まず、ウィーンの象徴の一つであるシュテファン大聖堂ですが、その巨大さのためにそばに寄ってしまうと全貌がつかみにくくなってしまいます。写真も上下を分割するしかありませんでした。

この日はちょうどミサが行われていて、多くの警官が周りを取り巻き物々しい警戒ぶりでした。塔に登れるようになるのは夕方と聞き、やむを得ず諦めて、ミサを覗いたあとケルントナーからグラーベンへと繁華街を散策することにしました。その後は王宮近くの日本料理店優月で久しぶりの和食を摂り、トラムでベルヴェデーレ宮殿に向かいました。

優雅なシェーンブルン宮殿にも劣らず、ベルヴェデーレ宮殿は落ち着いた美しさを見せてくれました。文化に理解の深かった宮殿の主オイゲン公の人柄が偲ばれます。

一旦ホテルに戻って翌日のプラハへの移動準備を済ませたあと、見学ツアーに参加するためトラムでブルク劇場に向かいました。ドイツ語と英語の
つのグループに分かれて劇場内を見学するのですが、精巧な彫刻に飾られた内部の豪華さには感嘆するばかりでした。
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ウィーン〜プラハ
 プラハ行きEC172
 ビンドボナ号
 国境の駅ブルジュツラフ
 車窓から仰ぐブルノ・聖ペ
 テロ・聖パウロ教会の尖塔
 アダモフ付近を快走する
 
EC172
 青空の下
 プラハへとひた走る
 プラハ・ホレショヴィツェ駅

ウィーンからプラハまでの時間余りの旅は、途中の出国審査と入国審査が随分早く回ってきたこともあって退屈するひまもなく、東欧の気配の残っているプラハ・ホレショヴィツェ駅に無事到着しました。

ところが、ここでひと悶着!あるはずのプラハカードがどこにも売ってないのです。随分時間をかけて探しても見つからず、結局使い勝手の悪い地下鉄の
回券を買ってホテルに向かいました。

ちょっと驚いたのは地下鉄のホームも車両もブダペストやウィーンよりずっときれいだったことです。また、エスカレーターは評判通り長い上に動きがとても速いのですが、現地の人々は別にトラブルもなく平気で利用していました。日本の高齢者なら間違いなく転んで怪我をしてしまうでしょう。
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MAP(プラハ市街)

プラハ・ヴルタヴァ川東岸地区
とプラハ城への道
 プラハの春音楽祭の会場
 だった市民会館
 共和国広場
 プラハ市営地下鉄の
 きれいな車体
 国立博物館前の初代ボヘ
 ミア王聖ヴァーツラフ像
 ソ連に対する民族蜂起の
 場 ヴァーツラフ大通り
 ヴァーツラフ広場から見る
 国立博物館
 豪華絢爛な装飾を
 施された市民会館
 ドン・ジョバンニ初演の場
 エステート劇場
 エステート劇場前で
 開場を待つ人々
 裏側も斬新な
 エステート劇場
 ツェレトゥナー通りから見る
 火薬塔
 プラハ城へと通じる
 ヴァルドシュテイン通り
 プラハ最大のバロック宮殿
 ヴァルドシュテイン宮殿
 聖ミクラーシュ教会のドーム
 マラー・ストラナ広場
 由緒ある館も多い
 緩い坂道のネルドヴァ通り
 ネルドヴァ通りの
 洒落たチェコレストラン
 坂の頂上から見下ろす
 ネルドヴァ通り
 17世紀の聖母マリア教会
 ロレッタ
 12世紀に建設された
 ストラホフ修道院
 ストラホフ修道院の内部

ホテルにチェックイン後、地下鉄を乗り継いで国立博物館に向かいました。ここから700mも続くヴァーツラフ広場は、かつて自由を求めるプラハ市民を弾圧するためソ連軍が戦車を乗り入れた場所であり、そして更に20年後、100万人の群衆が集まり、自由を手にする無血革命を達成した場所でもあります。現在は中央に緑地帯を持つ広い通りで、プラハ第一の繁華街になっています。

火薬塔は、元この場所にあった王宮の門だったそうで、かつて火薬の貯蔵に使われたのがその名の起源ということです。内部も外装も豪華な市民会館にはスメタナ・ホールがあり、そこでプラハの春音楽祭が開かれます。

プラハ城への道は、最寄りの地下鉄駅マロストランスカーから始まりました。古い歴史を秘めたヴァルドシュテイン通りからマラー・ストラナ広場、更に中世のままのネルドヴァ通りの緩い坂道を登るとプラハ城の正門に到着します。

城はあとにして先ずロレッタとストラホフ修道院を訪れました。ストラホフ修道院には大勢の人々がつめかけていました。かつてゴルバチョフもここを訪れたそうです。
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MAP(プラハ市街)

プラハ城
 ロココ様式の威厳ある
 建物 大司教宮殿
 フラチャニ広場からプラ
 ハ城正門と教会の尖塔
 プラハ城の正門と
 その奥のマティアス門
 プラハ城内第一の建造物
 堂々たる聖ヴィート大聖堂
 第三の中庭から見る
 聖ヴィート大聖堂
 12世紀のロマネスク建築
 聖イジー教会
 お伽の世界を思わせる
 黄金の小路
 中世の牢獄ダリポルカ塔の
 地下に残された責め道具
 聖ヴィート大聖堂
 内部の華麗な装飾
 聖ヴィート大聖堂
 内部の華麗な装飾
 ムハの手になる名作
 「聖キリルと聖メトディウス」
 聖ヴィート大聖堂の
 ステンドグラス
 定時の交代式に向かう
 プラハ城の衛兵
 交代式のファンファーレ
 を演奏する音楽隊
 大司教宮殿前に
 集まる群衆

プラハ城正門のそばに建つ大司教宮殿は、映画「アマデウス」の撮影でも知られています。

プラハ城の正門を入るとすぐマティアス門があり、それをくぐると第二の中庭になりますが、ここまで入ると聖ヴィート大聖堂の尖塔が一段と高く感じられます。更に進んで第三の中庭に入り大聖堂の見学をと思ったのですが、これが長蛇の列でとても待ち続ける気にはなれず、一旦諦めて聖イジー教会に向かい、その後再び大聖堂に行ってみると今度は列も短くなっていて、そのままスムースに入場できました。聖ヴィート大聖堂の内部は華麗そのもので、特に無数のステンドグラスの美しさには感動するばかりでした。

色とりどりの小さな家の集まった黄金の小路を過ぎた先にあるダリボルカ塔は中世に牢獄として用いられた場所で、地下には怖ろしげな責め道具も陳列されていました。

マティアス門まで戻ったときちょうど衛兵の交代式が行われ、それを見たあとカレル橋を目指してプラハ城をあとにしました。
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プラハ・カレル橋と旧市街
 カレル橋へと通じる
 ネルドヴァ通り
 ネルドヴァ通りから見る
 聖ミクラーシュ教会
 マラー・ストラナ橋塔付近
 マラー・ストラナ橋塔
 からカレル橋へ
 ヴルタヴァ川に架かる
 最古の石橋、カレル橋
 カレル橋から見る
 射撃島とチェコ軍団橋
 カレル橋から見る
 プラハの新市街
 晴天の下
 カレル橋を散策する人々
 カレル橋から見る
 マネシューブ橋
 カレル橋から、巨大な
 複合建築クレメンティヌム
 カレル橋から見るスメタナ
 博物館とアンナ教会
 カレル橋から見る
 プラハ城
 旧市街橋塔と
 聖フランティスク教会
 巧みな演奏を聴かせる
 カレル橋上の大道芸人
 カレル橋上の
 ブロンズの十字架
 スメタナ博物館
 スメタナ愛用のピアノ
 ヴルタヴァ川の
 河畔から見るプラハ城
 ヴルタヴァ川の
 河畔から見るカレル橋
 チェコの人々の心の支え
 地味な外観の国民劇場
 多くの歴史的事件の
 舞台 旧市街広場
 旧市街広場を囲む
 様々な様式の建造物
 ティーン聖母教会と石の
 鐘の家、ヤン・フス像
 旧市街庁舎の鐘楼
 白壁が眩しい
 聖ミクラーシュ教会
 落ち着いた雰囲気の
 聖ミクラーシュ教会内部
 ロココ様式の
 ゴルツ・キンスキー宮殿
 遅い夕暮れの空に浮か
 ぶ火薬塔のシルエット

ネルドヴァ通りの途中でチェコレストランに寄り、ゆっくりと昼食を摂ってからカレル橋へと向かいました。

マラー・ストラナ橋塔には寄らず直接カレル橋に渡ったのですが、予想とは違って混雑もなくのんびりと散策できました。そこかしこに絵画などの売店が立ち並び、ヴルタヴァ川(モルダウ川)と両岸の市街の眺めも中々のものでした。ラテン音楽を聴かせていた大道芸人の演奏は見事なもので、特に名前も分からない木琴まがいの楽器を操る老人の手さばきには驚かされたものです。

この橋には車の進入が禁止されているため、何の心配もなくぶらぶら歩きを楽しめます。


カレル橋を渡ってすぐスメタナ博物館に行きました。彼が作曲した「わが祖国」は私の好きな曲の一つなのです。その中の一節が日本でも有名な「モルダウ」です。

その後一旦トラムで南に向かい、ドイツの支配に抗してチェコ文化の復興のため造られた国民劇場を眺めてから、今度は北のルドルフィヌムまでトラムで移動しました。そこからは歩いて旧アネシュカ修道院まで行きましたが、現在は国立美術館の分館になっているそうです。

最後の目的地である旧市街広場は、美術・建築には疎い私にも区別がつくような様々な様式の建物が周囲に並んだ、いかにもプラハの歴史が刻み込まれた場所でした。旧市街庁舎の仕掛け時計は群衆でよく見られませんでしたが、ティーン聖母教会や聖ミクラーシュ教会は存分に眺めることができました。
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プラハを去る日
 一夜明けた空港行き
 ミニバス発着所
 プラハ・ルズィニェ空港
 広々としたアムステル
 ダム・スキポール空港
 スキポール空港の
 ショッピングコーナー
 スキポール空港の
 帰国便
KLM航空機
 ヘルシンキの上空付近
 を飛ぶ帰国便

空港行きのミニバスがホテルからほんの100mの場所にあるのに、その存在をホテルのスタッフが知らないという不思議なこともありましたが、多分提携先のタクシーを使わせたかったのでしょう。あいにく私はタクシーは極力避ける人間なので、当てが外れてがっかりしたことでしょう。

無事にミニバスに乗り込んだもののそれからが大変!途中までは中世の石畳道なのです。ガタガタ揺れるのも構わず飛ばして、やっと普通のアスファルト道路になったときは正直ホッとしました。石畳は眺めている分にはよくても、足での移動、それも重いスーツケースなどを運ぶには最悪です。国内、海外を問わず、歴史的な建物や町並みが保存されている場所は、観光客にとっては貴重な経験をさせてくれる訳ですが、実際にその地に住む人々には必ずしも快適とは限らないのではと思います。

帰りのスキポール空港では待ち時間が
時間もあったのですが、近くには時間をつぶす場所もなく、電車で市内に出れば時間はつぶせる代わりに不慮の事故で帰国便に乗れない場合も考えられて、どうするか迷っていました。ところが案ずるより生むは易しで、スキポール空港にはありとあらゆる施設があったため、普通に歩き回ったり食べたり飲んだりするだけでいつの間にかチェックインタイムがやってきてくれたのです。

帰国便にはスイス帰りらしい日本人のツアーグループが乗っていて、思い出話に花を咲かせていました。朝成田に着くのでよく眠っておけば時差ボケ解消になるのにずっと騒いでいたのです。おかげで私もほとんど眠れず、帰ってから
2,3日は体調が定まりませんでした。到着地の時間に合わせて行動するのが最善の時差ボケ対策だということぐらいは知っていて欲しいものです。
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チケット等
 中欧都市巡りの
 航空旅程リスト
 中欧ヶ国の鉄道用パス
 ユーロピアン・イースト・パス
 フェリヘジ空港〜市内の
 エアポートミニバス乗車券
 交通機関フリーで施設の
 割引もあるブダペストカード
 ハンガリーとオーストリア
 のテレフォンカード
 交通機関24時間フリーの
 ウィーン
24時間フリーパス
 シェーンブルン宮殿
 グランドツアー入場券と
 グロリエッテ入場券
 ザルツブルク行きモーツァ
 ルト号の運転スケジュール
 バスフリーで施設の割引
 もあるザルツブルクカード
 交通機関フリーで施設
 割引もあるウィーンカード
 モーツァルトハウス
 ・ウイーンの入場券
 ブルク劇場
 見学ツアーの入場券
 プラハ城内主要施設の
 共通入場券
 スメタナ博物館
 の入場券

暑さには徹底して弱い私を待っていたのはブダペストの35°の猛暑でした。湿度が低いからよかったものの、冷房には無縁なこの地域だけに眠れるかどうか心配でした。ウィーンもほぼ同じくらいの暑さで、ザルツブルクの涼しさがなかったらダウンしていたかも知れません。特にブダペストでは水道の水は硬水で飲めないため、ミネラルウォーターを買うことになるのですが、これがほとんどガス入りで、代わりにスプライトやフルーツジュースに頼ることも少なくありませんでした。

現地の人々はこのような暑さの中でも帽子をかぶらないのです。私も途中からは帽子を取りました。かぶっていると目立つので狙われ易いと思ったのです。ガイドブックには色々な危険が書いてありますが、要は心がけ次第、隙を作らないよう周囲の状況に敏感であることだと思います。

見知らぬ土地を一人で歩いているときに最も生きていることを実感するという変わり者の私には、何度も訪れたスイスとは違った楽しみを与えてくれました。現地の人々や他の国からの観光客との交流も結構あり、ホテルのスタッフにも随分と無理なお願いを聞き入れてもらいました。

今回は現地で出会った日本人ツアーは一組だけでした。個人旅行者も新婚旅行の一組だけで、韓国人や中国系の小グループの多さが不思議に思われるほどでした。

ウィーンは私が好きな町の一つですが、
84年に比べると車がかなり増えていて、リング通りの中央にあった緑地帯が消えていました。また、ブダペストでもウィーンでもそうでしたが、由緒ある施設の周りに車が多数駐車していました。これは写真撮影にとってはたいへん有り難くないことなのです。もっとも、そうした施設は、私たちには観光の対象であっても現地の人々にとっては日常的な生活の場なので、咎める方が身勝手なのかも知れません。

大都会はコンクリートジャングルでそれ以外の地域は木と紙の建物が主流の日本と、数百年の歴史を秘めた多くの建物の集合体であるヨーロッパの都市をそのまま比較するのには無理がありますが、そこに立ったとき受ける感じの違いはどこから来るのでしょうか?日本の場合、電柱の有無は別としても建物の外観や色彩の調和にはほとんど配慮がないこと、看板の林立も同様、公共の福祉よりも私権が優先され過ぎていること(これは建築だけでなくあらゆる面で言える)などが原因となっているようにも思います。

ついでですが、東京に限らず日本の都市では、なぜ外側が全面ガラスのビルが増えているのか不思議でなりません。地震の際にガラスが怖ろしい凶器になることは誰でも知っているはずなのに・・・。省エネ?見栄え?それより命にかかわる危険を避けることの方が遙かに大切だと思うのは間違いでしょうか?「日本は世界でも希有の地震列島」ということを忘れている人が多すぎます。3.11の巨大地震発生後も同じことが続いているのは全く理解に苦しみます。

どんな交通機関よりも鉄道旅行が大好きな私にとっては、今回の旅で僅か
1300kmほどの国鉄線に乗ったことだけでも、たいへん意味深いものなのです。もちろん、車窓から眺める風景はスイスでのそれとは比較になりませんが、日本では既にほとんど見られなくなった電気機関車牽引の客車列車だけに、ゆったりとした気分に浸ることができました。また、共通乗車券を使って利用できる便利な地下鉄やトラム、バスでの移動は、お仕着せの観光バスでの移動より遙かに自由で楽しいものです。TV
などに登場する特別な人々を除けば、このような無謀な旅を思いつく人間は滅多にいないでしょう。いくら元気でも、77歳という年齢を考えれば身体的に色々な危険が考えられる訳ですから。それを十分承知の上で決行してしまうのが天の邪鬼の私の性分ですが、これには訳があるのです。

実は、2001年の秋、最後の海外旅行にするつもりでスイスを訪れたのです。ところが、最後ということで特に念入りにプランを作ったのに天候が下り坂でハイキングも思うに任せず、その無念さがずっと心に残っていました。

2007年になって急にまたヨーロッパに行きたくなり、矢も楯もたまらず出掛けてしまったのです。ツアーで行ったのでは自分流の旅はできないので始めから一人旅しか考えていませんでした。

本心はもちろんまたスイスの山を歩きたかったのですが、悪天候によるハイキングの断念という失望を
度味わうのも嫌なので、天候の影響があまりない町歩きを選び、それならまだ訪れていない所をと旧東欧を列車で歩き回ることにしたのです。名誉ある”後期高齢者”の身の一人歩きだけにプラン作りと準備には一層気を配りましたが、異常気象による暑さには閉口したもののどうやら無事に帰って来ることができました。
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カナダ西部の旅
(1992)
 

ヴァンクーヴァー、ヴィクトリア
カナディアン号、ジャスパー
カナディアンロッキー、バンフ



コース概略赤字は宿泊地
  シアトル〜ヴァンクーヴァー
〜ヴィクトリア〜
ヴァンクーヴァー
カナディアン号ジャスパー
〜マリーンレイク〜アサバスカ
〜コロンビア大氷原
〜レイクルイーズ〜
バンフ
〜カルガリー〜ヴァンクーヴァー
〜ノースヴァンクーヴァー
ヴァンクーヴァー〜シアトル
(1992.9.12〜9.21)


以下、ミニ画像をクリックすれば、
拡大写真が表示されます


ヴァンクーヴァーとヴィクトリア
 海上から望むヴァンクー
 ヴァーのスカイライン
 スタンレーパークの
 トーテムポール群
 さざ波立つジョージア海峡
 ヴィクトリアのシンボル、フェ
 アモント・エムブレス・ホテル
 絢爛たるブッチャート・
 ガーデンズの景観
 ブッチャート・ガーデンズ
 に咲き誇る花と噴水
 ブリティッシュ・コロンビア
 州会議事堂

ヴァンクーヴァーは実に清潔な街です。海と山に囲まれ、目の前の湾で新鮮な魚介類が獲れるため、すしネタなどは日本の専門店よりも豊富かつ新鮮で、価格もずっと安くなっています。東洋系の移民も多く、サンフランシスコに似た雰囲気を持っています。もちろん、安全の点ではサンフランシスコより格段に優れていますが・・・。

ヴァンクーヴァーからヴィクトリアへはフェリーでジョージア海峡を渡ります。現地の日本人ガイドが「このフェリーは世界最大」とデタラメを言うので、つい「バルト海のフェリーはこの
倍でしたよ」と言ったら嫌な顔をしていました。つまらないプライドですね。本当に意地悪な私でした。


VIAでジャスパーへ 
 VIAのドームカーから
 明けゆくロッキーの山々
   VIA沿線の清澄な湖 
 秘境らしいたたずまいの
 ジャスパー駅頭
 キャビンの立ち並ぶジャス
 パー・パークロッジの本館
 明けゆく山を背にする
 ジャスパー・パークロッジ
   静寂で清々しい
 ジャスパーの朝
 
 朝日に輝く
 カナディアン・ロッキーの山
 マリーン・レイク
 湖畔の針葉樹林
 

ヴァンクーヴァーを夜出発するカナディアン号は、カナディアン・ロッキーの北の玄関ジャスパーまで18時間かけて走ります。早朝にドームカーの展望室から眺める風景は、晴れていれば素晴らしいに違いありません。残念ながら曇りがちのため、ご覧の通りでした。

ジャスパー・パークロッジでは広い敷地に多くのロッジが建てられていて、宿泊客はそれぞれのロッジに個別に泊まります。食事などのときは本館に集まる訳です。周辺にロッキーの山々が眺められる湖があり、閑静な雰囲気を堪能できました。

ところが、朝目覚めて薄暗い中を本館に向かおうとした瞬間、目の前に黒い大きな動物がうずくまっていたときは、さてはクマかと心臓が止まる思いでした。敷地の囲いのすぐそばまでクマが寄ってくるそうですから。幸いその動物はエルク(鹿)だったので胸を撫で下ろしました。

ところが、朝食時に「近くの森の中でアメリカ人夫婦がクマに襲われ、ご主人は亡くなり奥さんも重傷だ」との報告があり、とてもハイキングができる状況ではないと分かって大変がっかりしました。

また、マリーン・レイクへの現地ツアーに参加しましたが、あいにくの霧雨で展望は利かず、遊覧船で湖を一周するだけになりました。


ジャスパー〜バンフ
 アサバスカの滝
 高台から望む
 コロンビア大氷原
 雪と氷と強風の世界
 コロンビア大氷原 
 
 カナディアン・ロッキー
 の合間、清澄なボウ・レイク
 コバルトブルーの
 水を湛えるペイトー湖
 絵のようなレイク・ルイーズと
 カナディアン・ロッキー
 バンフの町と
 背後のカスケード山
   バンフの町の
 背後に立ち並ぶ山々
 
   森に隠れた古城ホテル
 バンフ・スプリングス
 
 映画の舞台にもなった
 ボウ滝

ジャスパーからバンフまでは、私が最も苦手とする長い長いバスツアーですが、ずっと曇りか霧雨が続き、折角のカナディアン・ロッキーの景色も50%程しか楽しめませんでした。その上途中からはバス酔いに加えて39°の高熱に悩まされ、本当にひどい気分でした。そのためか、ロッキーの山や湖、大氷原にもさほどの感動は覚えなかったのです。

レイク・ルイーズに着く頃は気分もいくらかは良くなりましたが、バンフのホテルに着いてやっとホッとし、その夜は解熱剤を飲んでそのまま熟睡しました。

高熱には強いため翌日はケロッという感じになりました。そこで、ワンデイチケットを買ってシーバスに乗り、対岸のノース・ヴァンクーヴァーに渡ったのです。この街は私が住む千葉市の姉妹都市なので、ちょっとした表敬訪問ということになるでしょうか。本当はこの奥のキャピラノ渓谷にある長い吊り橋を渡りたかったのですが、帰国便の出発時刻が迫っていて諦めるしかなく、またシーバスでヴァンクーヴァーに戻りました。

体調の悪さを割り引いてみても、私にはカナダの自然よりもスイスやニュージーランドの自然の方が感覚的にピッタリするような気がします。例えば、スイスの山々はカナダの山々よりも1000m前後も高く、またその風貌がずっと荒々しい上に山と山との間隔も狭くなっているためより一層迫力を感じます。

そういう訳で国内でも富士のようなコニーデより穂高岳や剣岳の方に魅力を感じる私には、再訪するならやはりスイスかニュージーランドということになってしまい、実際にそうなりました。
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