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 鉄道で巡るスイスの旅 
  ルツェルン〜リギ、ピラトゥス    
  ロートホルン、シーニゲプラッテ 
  ツェルマット
   (クライン・マッターホルン、スネガ)
 
  クール、アッペンツェル 他 
 鉄道で巡るイタリアの旅
  ミラノ、ヴェネツィア 
  ボローニャ、ピサ、フィレンツェ 
  ローマ市内中心部 
  ポンペイ、ローマ(ヴァティカン) 他 
 北ヨーロッパ駆け足の旅
  コペンハーゲン〜オスロ 
  ベルゲン〜ストックホルム 
  バルト海〜トゥルク、ヘルシンキ 
  ブリュッセル、ブルージュ 他 
 オーストラリア東南部の旅
  シドニー、メルボルン 他 



鉄道で巡るスイスの旅
(1999) 

ルツェルン周辺の二つの山
ベルナー・オーバーラント地域
ヴァリス地方の山岳風景
氷河急行とベルニナ急行
個性的なグラウビュンデン

=海外手づくりの旅 その

 コース概略(赤字は宿泊地
  チューリッヒ〜ルツェルン
〜フィッツナウ〜リギ
〜アルトゴルダウ〜
ルツェルン
〜クリエンス〜ピラトゥス
〜アルプナハシュタット
ヴィルダースヴィル
〜ブリエンツ〜ロートホルン
〜ブリエンツ〜ラウターブルンネン
〜ミューレン〜
ヴィルダースヴィル
〜シーニゲ・プラッテ
〜ヴィルダースヴィル
〜シュピーツ〜カンデルシュテーク
〜ブリーク〜ツェルマットクール
〜アルプ・グリュム〜クール
〜アルト・シュタッテン〜ガイス
アッペンツェル〜ザンクト・ガレン
〜ヴィンターツール
〜シャフハウゼン
〜チューリッヒ
1999.6.29〜7.7



前後回のスイスの旅の中で、際だって幸運だったのがこの旅です。ヨーロッパの気象は一旦崩れるとそれが長く続くことがありますが、このときは後半も含め日間の滞在を通してほとんど晴天に恵まれました。そのため、最大の目的だったアルプスの山々の写真も豊富に撮ることができ、今振り返ってみても奇跡に近かったとしか言いようがありません。

ただ一つ私にとって辛かったのは、この年のスイスが異常高温に見舞われていたことです。ネットによる事前調査では平年並みだったのですが、そのつもりで用意した衣服では暑すぎて閉口しました。やむを得ず現地調達したもののちょっとやり切れない思いでした。


以下、ミニ画像をクリックすれば
拡大写真が表示されます


MAP(スイス全図 1)
MAP(ルツェルン地域)

 ルツェルン〜リギ 
 チューリッヒに着陸直前
 機上から見下ろすライン河
 SBB(スイス国鉄)
 チューリッヒ空港駅の出札所
 フィーアヴァルトシュテッテ
 湖越しのホーフ教会
 湖船から見る
 ウィリアム・テル記念堂
 湖船から望むリギ山
 濃いガスに煙る
 リギ山山頂付近
 リギ山山頂付近
 濃霧の中を走る
VRB
 リギ・シュタッフェル駅付近
 
VRBARBの勾配路線
 リギ・シュタッフェル付近
 の斜面に広がる牧草地
 リギ・シュタッフェル駅付近
 のんびりと草を食む動物たち

チューリッヒには夕方到着しましたが、翌日からの予定の関係でルツェルンまで足を延ばして泊まりました。主目的が山なので、この町はあくまでも行動の拠点です。中世風の石畳の道は雰囲気はよくても決して実用的ではなく、ホテルまでのスーツケース運びには結構苦労させられました。

翌日はルツェルンから湖船でフィッツナウまで渡り、そこからは登山鉄道
VRBで標高1798mのリギ山に登りました。生憎頂上付近は濃霧に覆われていましたが、下山のときは牛の憩う牧場の間を縫って歩き、もう一つの登山鉄道ARBの途中駅クロステルリまで時間ほどのハイキングを楽しみ、スイス国鉄SBBのアルトゴルダウに出て電車でルツェルンまで戻りました。

スイスでは、鉄道路線の名称を付けるときは始発駅と終着駅の名前の頭文字を使うことが多いようです。例えば、VRBVitznau(フィッツナウ)とRigi(リギ)の頭文字にBahn(鉄道)の頭文字を付けたものです。


 ルツェルン〜ピラトゥス 
 スイス国鉄ルツェルン駅の
 発車時刻表
 ルツェルン駅出発直前の
 ミラノ行き
ICの前で
 ルツェルン郊外の住宅地
 リンデの朝市
 クリエンス〜ピラトゥス
 間のゴンドラリフト
 ゴンドラから見る
 ピラトゥスの荒々しい岩肌
 ピラトゥス頂上駅
 ピラトゥスの岩壁に張りついた
 オーバーハウプト歩道
 ピラトゥス山頂に向かって
 石段を登る人々
 ピラトゥスの山頂付近で
 世界一の急勾配を持つ
 ピラトゥス登山鉄道 
 断崖と絶壁に挟まれた
 ピラトゥス登山鉄道の路線
 急勾配で有名な
 ピラトゥス登山鉄道の路線

ルツェルンからクリエンスまではトロリーバスです。クリエンスではちょうど朝市の真っ最中でした。ここから標高2119mのピラトゥス頂上駅までゴンドラに揺られ、穏やかだったリギとは全く違うこの山の険しさを実感しました。帰路は有名な世界一の急勾配を持つピラトゥス登山鉄道に身を任せたのですが、絶壁と断崖の間の僅かな間隙に敷かれた線路をラックレールの助けを借りて下るのには、他の乗客ともども肝を冷やしました。

この後、登山鉄道の終点アルプナハシュタットからスイス国鉄に約
時間乗って、インターラーケンから一駅入ったヴィルダースヴィルに向かい、朝ルツェルン出発前に駅で配送を頼んであった荷物を駅で受け取ってからホテルに向かいました。ここはグリンデルワルトのように有名ではありませんが、登山鉄道の分岐点近くでもあり、行動拠点としては便利です。
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MAP
(ベルナー・オーバーラント地域)

 ブリエンツ〜ロートホルン 
 ブリエンツで、登山鉄道用
 の強力なミニ
SL
 小型でも力持ち、ロートホ
 ルンへとぐいぐい登るミニ
SL
 登山鉄道BRBの車窓から
 ロートホルン中腹の風景
 山腹からBRB路線
 とユングフラウ山群
 BRBの車窓から仰ぐ
 荒々しいロートホルン
 山頂付近
 ロートホルン山頂駅
 で憩う
BRB
 ロートホルン山頂から
 遙かなピラトゥス
 ロートホルン山頂から
 ブリエンツ湖を挟んだ
 ユングフラウ三山
 ブリエンツ湖越しに望む
 ユングフラウ三山

この日はヴィルダースヴィルからインターラーケン経由でブリエンツまで行き、ミニSLに押されて2197mのロートホルンに登る登山列車に乗ったのですが、よくこんな急坂をSLで登れるものだと驚かされます。加えて周囲の景色の素晴らしさ!ブリエンツ湖越しに聳えるベルナー・オーバーラントの4000mの峰々・・。写真のように快晴に恵まれたため、ゾクゾクするような感動に浸ることができました。

写真では分かりにくいかも知れませんが、この
SLは車体が水平でなく前に傾いています。傾斜が大きくなってもボイラーが正常に働くようになっているのです。

BRBBrienz(ブリエンツ)、Rothorn
ロートホルン)、Bahn(バーン鉄道の頭文字を使った呼称です。


 ミューレン〜シーニゲ・プラッテ 
 ミューレンから眺める
 快晴のユングフラウ
 ミューレンから眺める
 快晴のアイガーとメンヒ
 シーニゲ・プラッテに登る
 登山鉄道の古典客車
 シーニゲ・プラッテから望む
 アイガー北壁とメンヒ
 シーニゲ・プラッテから望む
 優美なユングフラウ
 シーニゲ・プラッテから
 遙かなブライトホルン方面
 シーニゲ・プラッテの
 高山植物園に咲く
 エリナス・アルピナス
 シーニゲ・プラッテの
 高山植物園に咲く
 ゲンティアナ・ウルトワキュロサ

インターラーケンからグリンデルワルトに向かうBOBは私鉄のため名称の付け方が国鉄とは違っています。この地域の名称であるBerner Oberland(ベルナー・オーバーラント)の頭文字にBahnが付けられているのです。

ミューレンはユングフラウ三山(アイガー、メンヒ、ユングフラウ)を西側から眺める展望台で、グリンデルワルトからとは違った表情に接することができます。以前の報道では、ミューレンに至る路線が崖崩れで不通になり復旧の見込みもないとのことでしたが、近年になって開通したとの情報がありました。。

シーニゲ・プラッテへは、ヴィルダースヴィルから写真の古典客車で
50分、時速4〜5kmでゆっくりと登ります。それほど期待してなかったのですが、結果はご覧の通り目を疑うような素晴らしさでした。ユングフラウ三山をほぼ正面から眺めることになり、登山家が挑戦を夢見るアイガー北壁などは全体が見渡せます。

この後は、ちょっと強行軍ですがシュピーツとブリークで乗り換え、一気に次の宿泊地ツェルマットまで移動する予定でしたが、途中のカンデルシュテークで降りることになりました。


 シュピーツ〜カンデルシュテーク 
 鉄道交通の要衝
 トゥーン湖畔の町シュピーツ
 カンデルシュテークに
 到着した
BLS
 カンデルシュテーク駅
 の正面口
 カンデルシュテークの教会

シュピーツでは時間の乗り換え待ちを利用してカフェテリアで昼食を摂りました。湖岸の散策を楽しむには時間が足りず残念でした。

カンデルシュテークで途中下車し、エッシネン湖に行こうとしたのですが、あまりの暑さに耐えきれなくなって諦め、次の電車でツェルマットの玄関口であるブリークに向かいました。
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MAP(スイス全図
MAP(ヴァリス地方)

ブリーク〜ツェルマット
 ブリーク駅に停車中の
 ツェルマット行き
BVZ
 ツェルマット行きBVZから
 マッター川に流れ落ちる滝
 ホテルの窓から見る
 ツェルマットの村
 山岳リゾートツェルマット
 のリゾートホテル群
 花で飾られた
 ツェルマットの店先
 ホテルの窓から
 夕暮れのマッターホルン
 ホテルの窓から、金色
 に輝くマッターホルン
 
 ツェルマットの村を貫く
 マッター川の白濁した流れ
 3820mへの玄関口
 シュールマッテン駅
 中継点フーリの
 ハイキングの案内標示板
 ゴンドラの同乗者、
 登山客とスキー客たち
 クライン・マッターホルン
 終点駅の高度標示
 出発準備を整える
 スキー客たち
 クライン・マッターホルン
 イタリア側チェルビニア
 への案内
 トンネルを抜けた先
 濃霧の中のイタリア側
 下りのゴンドラから遠ざかる
 クライン・マッターホルン
 下りのゴンドラから
 ヴァイスホルン方面
 下りのゴンドラから見る
 ヴァイスホルン
 シュヴァルツゼー駅の表示
 シュヴァルツゼー付近から
 ダン・ブランシュ
 シュヴァルツゼー付近から
 オーバーガーベルホルン
 シュヴァルツゼー付近から
 ウンター・テオドゥル氷河

ヴァリス地方の中心地であるツェルマットはスイスを訪れる人なら誰でも立ち寄る場所ですが、ツアー客はほとんど例外なく登山電車でゴルナーグラートに向かいます。私は人混みが何よりも苦手なので、それを避けるためゴルナーグラートはツアー客がいなくなる午後遅くに回し、状況によっては止めても構わないつもりで他のつのコースを優先させました。

早出のため携帯食で簡単な朝食を済ませて
時半にホテルを発ち、マッター川に沿って始発のロープウェイに乗るべくシュールマッテンに急ぎました。フーリ、トロックナーシュテグとゴンドラを乗り継いで、標高3820mのクライン・マッターホルンに到着したのは時頃です。同乗者は全員欧米人のスキー客や登山者で、ゴンドラが終点に着くと次々に出掛けて行きました。

残念ながら、トンネルを抜けてみたら濃霧でイタリア側の村チェルビニアは見えませんでしたが、気温は思ったより高く
0℃でした。高山病になっては一大事なので、深呼吸しながら周囲をゆっくりと歩き回り、40分ほど過ごしてからたった一人の乗客として下りのゴンドラに乗った訳です。

途中からやっと雲が切れ始め、中間のシュヴァルツゼーに着いたときはかなりの好天になって周囲の山や氷河を眺めることができ、澄み切った空気の中、他に誰もいない湖畔のレストランでモーニングコーヒーを楽しんでから下りました。


ツェルマット〜アンデルマット
 スネガへの地下ケーブル
 アルペンメトロ駅の入口 
 スネガへの地下ケーブル
 アルペンメトロ駅の通路
 スネガで
 ヴァリスの山を背に
 素晴らしい景観が楽しめる
 
2500mの爽快な散歩道
 フラウアルプへの快適な
 ハイキングコースで思わず!
 ハイキングコースから
 山上湖シュテリゼー
 2500mの山上湖
 シュテリゼーの排水口
 フラウアルプの丘と
 純白のシュトラールホルン
 ゴルナーグラートへの足
 
GGB電車
 GGB電車の終点ゴル
 ナーグラート駅のホーム
 GGB電車の終点
 ゴルナーグラート駅の標示
 ゴルナーグラートから見る
 雲隠れのマッターホルン
 ツェルマット
 山岳博物館の入口
 山岳博物館に展示された
 登山家ウィンパーの遺品
 氷河急行の展望車から
 窓外の風景
 氷河急行から
 窓外を過ぎてゆくアルプ
 オーバーアルプ付近の
 氷の浮く氷河湖
 アルプスの十字路
 アンデルマットを見下ろす

シュールマッテンに降りてから次に向かったのはスネガへの地下ケーブルが出るアルペン・メトロ駅です。このトンネルの中で久し振りに涼しい風を受けられてホッとしました。スネガには11時頃着き、すぐロープウェイでブラウヘルトに渡ってハイキングです。小さな山上湖シュテリゼーを経てフラウアルプの丘に行き、その上にあるイタリアンレストランで昼食を摂ったのですが、景色は抜群、人も少なく料理も美味しいので大満足でした。このときのハイキングだけでも、ツェルマット滞在の意味があったと思います。

一旦戻ってから一応ゴルナーグラートに出掛けましたが、やはり騒々しいツアー客が多くて落ち着けず、ちょうど雨模様になってきたのですぐ村に下り、山岳博物館などを見学して強行軍の一日を終えました。この夜は幾分か涼しくなり気持ちよく眠ることができました。

今回は、前回(
84年)とは逆にツェルマットから東のクールに向かって氷河急行を利用しました。楽しみにしていたクラシックな食堂車での昼食がちょっと忙しかったのが残念でした。
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  クール〜アルプ・グリュム
〜アッペンツェル〜シャフハウゼン
 5000年の歴史を持つ
 スイス最古の町クール
 クールの中心街
 バンホフ通り
 クール
 キルヒガッセからの大聖堂
 クール
 聖マルティン教会
 樹間を縫ってティラノへと
 ひた走るベルニナ急行
 ランドヴァッサー橋を渡る
 ベルニナ線の列車
 北イタリアのティラノへと
 ひた走るベルニナ急行
 厚い雲に覆われた
 ベルニナ・アルプス
 ベルニナ線の車窓から
 激しく流れるアルブラ川
 本来は白いはずの湖
 霧雨のラーゴ・ビアンコ
 ベルニナアルプス
 ピッツ・ヴァリュとヴァリュ氷河
 サルガンス〜アルト・
 シュタッテン間の風景
 こじんまりとまとまった
 東北スイスの村
 ABの車窓から
 アッペンツェル地方の村
 アッペンツェル駅のホーム
 アッペンツェル駅近くの
 聖マウリティウス教会
 アッペンツェルの
 メインストリート
 この夜の宿
 ホテル・アッペンツェル
 巨大なカウベルが並ぶ
 アッペンツェルの土産物店
 25mの落差を一気に
 流れ下るラインの滝
 シャフハウゼン
 怒濤逆巻くラインの滝

クールは発音のイメージからすればいかにも涼しげですが、実際は盆地の特性からスイス屈指の高温地域で、このときもかなり暑かったため到着してすぐソフトクリーム屋さんに飛び込んだくらいです。夕食にグラウビュンデン地方の伝統料理を食べたのですが、燻製肉の歯ごたえがあり過ぎてかなり苦労を強いられました。

氷河急行と並んでスイスの観光用看板列車の一つであるベルニナ急行は、国境を越えてイタリアのティラノまで走ります。ティラノまで行って本場のパスタを食べてみるのもいいですが、あとの移動が長時間なため国境間近のアルプ・グリュムで引っ返すことにしました。生憎天候が崩れかけていたためベルニナアルプスの最高峰ピッツ・ベルニナにはお目にかかれず、アッペンツェルへの長距離移動に取りかかりました。しかし、列車に乗ること自体が大好きな私には一向に苦にもならず、珍しい経験もあって楽しい移動だったのです。

アッペンツェル付近はロマンシュ語圏で英語は通じにくく、周辺にあるいくつものハイキングコースも僅か
泊では楽しむのは不可能でした。でも、元々が帰国前の一夜をチューリッヒのような都会で過ごしたくないというだけの理由で訪れた町だったので、あまり気にはなりませんでした。もったいない話ですね。

最終日、残った時間をフルに活用する目的で選んだシャフハウゼンでは、有名なラインの滝を眺めました。滝と言うよりは激流ですが迫力は相当のもので、この滝が中世ヨーロッパの交通、ひいては国際政治に及ぼした影響の大きさを考えさせられました。


 チケット類 
 日間通用の
 スイスパス
 チューリッヒ空港
 〜ルツェルン間の乗車券
 フィッツナウ〜リギクルム
 間の乗車券
 クロステルリ〜アルト
 ゴルダウ間の乗車券
 クリエンス〜ピラトゥス
 〜アルプナハシュタット
 間の乗車券
 ブリエンツ〜ロート
 ホルン間の乗車券
 ヴィルダースヴィル
 〜シーニゲ・プラッテ
 間の往復乗車券
 クライン・マッターホルン
 へのゴンドラのチケット
 ゴルナーグラートへの
 登山電車
GGBのチケット

私のアルバムには、写真だけでなく現地で手に入れたパンフレットからの切り抜きや地図、乗車券、ホテルのカードキーまでが収められています。こうすることによって、その旅の想い出がより深くなり、臨場感も生まれるからです。もっとも、最近は写真は専らパソコンの中に収納してあり、見たくなるとそれを開いて楽しむことが多くなりました。

前半のベルナーオーバーラント以来異常高温が続き、極度の暑さ嫌いな私にとっては本当に辛い旅になってしまいましたが、それでも、2500mを越す山上のハイキングは快適そのものでしたし、レールマニアでもある私には氷河急行やベルニナ急行の旅も興味深いものでした。

また、自然志向の私には珍しい町の散策も、個性的な地方であったためよい経験だったと思います。


スイスでは、本格的な登山でない限りかなりの高所まで登山鉄道やロープウェイで行くことができます。日本のようにどこにでも当然のごとく観光道路を通してマイカーを招き入れるのは、いかにも便利であるかのようで実は違うのです。鉄道やロープウェイならば高齢者も子どもも自由かつ安全に利用できますが、車ではそうはいきません。必ずドライバーが必要だし駐車スペースの確保にも悩まされます。その上、何よりも環境に対する悪影響が遙かに大きくなり、また、人々が安全快適に自然を楽しむのを非常に妨げます。

公共交通というものについての認識も日本とは大きく違うようです。日本では、路線の赤字は即減便、廃止につながりますが、スイスでは全く違うのです。「公共交通は、たとえ赤字でも維持するべきもの」という立場なのだと思います。観光路線だけでなくかなり田舎に行っても、列車やバスの本数はある程度は確保されています。どんなシステムになっているのか調べようとしても難しいのですが、スイスだけでなくヨーロッパでは、路面電車の充実した路線網にも見られるように公共交通機関をとても大切にしています。このへんの考え方が、全体の調和を考えずに便利さだけを追求するアメリカとは根本的に異なるのだと思います。

また、観光立国の典型とも言うべきスイスだけあって、この国は旅行者には至れり尽くせりの様々なサービスを提供してくれます。

その中でも、個人旅行者にとって何より有り難いのがライゼゲペックと呼ばれる荷物の託送システムです。必要なときに駅で頼んでおけば、自分が目的地の駅に到着する頃には確実に届いているので、途中で寄り道しようとコースを気ままに変えようと、リュック一つで自由に行動できます。今回も初日を除いて何度かこのシステムのお世話になりました。このような制度がちゃんと機能するのも、ドイツ系の多いスイスだからでしょう。ただ、最近このシステムが縮小されたとか耳にするので、非常に残念に思っています。
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鉄道で巡るイタリアの旅
2000


ミラノ、ヴェネツィア、ピサ
フィレンツェ、ローマ
ポンペイ


海外手づくりの旅 その

 コース概略赤字は宿泊地
  ミラノヴェネツィア
〜ボローニャ〜フィレンツェ
〜ピサ〜
フィレンツェローマ
〜ナポリ〜ポンペイ〜ローマ
〜アルバーノ湖〜
ローマ
(2000.5.12 〜 5.21)


MAPイタリア



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ミラノ
 早朝の
 ミラノ・ドゥオモ
 朝日が眩しい
 ドゥオモ屋上の尖塔群
 折々の支配者が
 居を構えた王宮
 ヴィットリオ・エマヌエーレ
 
世ガレリアの入口
 ガレリアから見る
 スカラ広場方面
 オペラの殿堂スカラ座と
 ミラノのトラム

空港からシャトルバスでミラノ中央駅に着いた途端、早速うさん臭い目つきの人々のお出迎えを受け、駅前広場を挟んで反対側にあるホテルまで行くのさえ、油断なく注意を配りながらの移動になりました。

翌朝は地下鉄でドゥオモに行き、開門と同時に屋上に上って光り輝く尖塔に見とれました。その後はガレリア、スカラ広場と歩き回りましたが、カフェでの支払い一つにも油断は禁物で、スイスや北欧などと比べ何とも疲れることでした。

午後早く列車でヴェネツィアに出発しましたが、スイスのような託送システムがなく重いスーツケースも自分で運ぶしかありません。荷物棚に載せようと悪戦苦闘していたら、幸いなことにビジネスマン風の若いイタリア人が手を添えてくれ本当に助かりました。その青年は将来ニューヨークでビジネスに携わりたいと目を輝かしながら語り、ヴェネツィアまでのよい話し相手になってくれました。

それにしても、イタリアに託送システムがないのは不便極まりないですが、多分ドイツ系の几帳面さと違い、万事適当なこの国では何かとトラブルが予想されるからでしょう。


ヴェネツィア
 ヴェネツィアへの入口
 アドリア海を渡る鉄橋
 ヴァポレット(水上バス)からの
 ヴェネツィア・サンタルチア駅
 沈みゆく水上都市
 美しいヴェネツィア
 大運河から仰ぎ見る
 ドゥカーレ宮殿
 広々としたサンマルコ広場を
 散策する人々
 11世紀のビザンチン建築
 サンマルコ大聖堂
 サンマルコ広場に
 そそり立つ鐘楼
 サンマルコ広場に
 鳴り響くカンパネラ
 鐘楼から見下ろす
 広場とヴェネツィア市街
 ヴェネツィアの大動脈
 鐘楼から見る大運河
 鐘楼からのサンジョルジョ
 ・マッジョーレ教会
 鐘楼からのサンタマリア
 ・デル・サルーテ教会
 鐘楼から見る
 ムラーノ島方面
 映画「旅情」の舞台
 カフェ・フローリアン
 ホテル・ガリーニ前の
 ゴンドラ発着所
 カンツォーネの歌声と
 ともに出発するゴンドラ
 16世紀末建造の
 大理石の橋リアルト橋

ヴェネツィアの町はこじんまりとまとまり、水上交通が発達して車が進入禁止なので、比較的安心して歩くことができました。ヴァポレットと呼ばれる水上バスが中々便利で、これと本の足で十分回ることができます。宗教施設や美術館もいいですが、私にはサンマルコ広場近辺とリアルト橋が興味深かったです。是非寄るつもりでいたカフェフローリアンでたまたま出会った日本の女子大生たちと一緒に昼食をとり、楽士たちの演奏を生で聴けたのも幸運だったと思います。リアルト橋のたもとで暑さしのぎに食べたジェラートの味は、さすが本場らしく格別でした。

今回のイタリア旅行で、ほとんど不安もなく歩けたのはここヴェネツィアの他にはボローニャ、ピサぐらいです。ホテルのメイドさんも人なつっこく、何かと親切に説明もしてくれました。連絡船で渡ったムラーノ島では素晴らしいヴェネツィアン・グラスが見られましたが、その高価なこと……。まだユーロでなくリラだったため金額の桁数が多く尚更高価に思えました。
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ボローニャ〜ピサ
 雑踏する
 ボローニャ市街
 内部に美術館を持つ
 ボローニャ市庁舎
 サン・ペトローニオ
 大聖堂
 年々傾斜がひどくなる
 ピサの斜塔
 ピサ
 洗礼堂、ドゥオモと斜塔
 復元工事でワイヤーに囚
 われた可哀想な斜塔
 痛々しい姿を見せる斜塔
 工事中の命綱

ヴェネツィアからフィレンツェへの途中、ボローニャに寄ってみることにしました。次のICまであまり時間がなく、ゆっくり歩けなかったのが残念でした。

その後は一旦フィレンツェのホテルに荷物を預けてからローカル線でピサに行き、斜塔などを見ました。ここでは入場券売り場で誤魔化されそうになり、抗議してやっと本来の割引入場券を手に入れたのです。割引がある旨の掲示をちゃんと見てあったから良かったものの、全く油断も隙もありません。

ただ、斜塔の傾きの増大を防ぐための工事で内部に入れなかったのは残念でした。


フィレンツェ
 アカデミア美術館へ
 の入場を待つ人々
 シニョリーア広場の
 ネプチューンの噴水
 ミケランジェロ作
 ダビデ像のコピー
 シニョリーア広場
 メディチ家大公の騎馬像
 ウフィツィ美術館の
 回廊
 アルノ川に架かる
 ポンテ・ヴェッキオ
 ポンテ・ヴェッキオ
 上の貴金属店
 ルネッサンス様式の
 ピッティ宮殿
 ボーボリ庭園側から見る
 ピッティ宮殿
 ピッティ宮殿裏の
 ボーボリ庭園
 ボーボリ庭園の
 ネプチューンの噴水
 リカーゾリ通りからのサ
 ン・ジョバンニ洗礼堂
 花の聖母教会と呼ばれる
 フィレンツェのドゥオモ
 ドゥオモ(花の聖母教会)
 前に群がる人々
 ドゥオモのファサード
 ロマネスク・ゴシック様式
 建築、ドゥオモ前の雑踏
 花の聖母教会
 入口に飾られた彫刻

フィレンツェも暑く、ほとんどをバスと徒歩で回る私には辛かったです。何と言ってもジェラートが最高の友で、いわば“花より団子”ならぬ「美術よりジェラート」という情けない私でした。

残念ながら美術館は
つとも入れませんでした、と言うより、始めから時間的に無理なので予定の行動だったのです。それでも町全体が美術館のようなものなので、雰囲気は十分に味わうことができたと思います。
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ローマ市内中心部 1
 ローマ・テルミニ駅の
 構内に進入
 ローマ・テルミニ駅の
 駅名標示板
 バルベリーニ広場
 トリトーネの噴水
 バルベリーニ宮殿
 (現在は国立絵画館)
 トリニタ・デイ・モンティ階段
 (通称スペイン階段)
 スペイン階段正面の
 トリニタ・デイ・モンティ教会
 トリトーネ通りから見る
 モンテ・ティトリオ宮殿
 勝利を記念する
 マルクスアウレリウスの円柱
 コロンナ広場に面する
 キジ宮殿
 古代ローマ帝国の中心
 だったヴェネツィア広場
 ヴィットリオ・エマヌエーレ
 
世記念堂
 ヴェネツィア広場に
 隣接する教会

フィレンツェから特急列車で時間弱、ローマ・テルミニ駅に到着した途端に、全身に鎧でも着たような感じになりました。ミラノと同様、駅前広場のあちこちに怪しげな目つきをした人々がたむろし、周囲を窺っているのです。とにかく先ずホテルへと急ぎ、荷物を置いて身軽になってから出掛けました。

予定では最初に地下鉄を利用することにしてありましたが、見学コースの複雑さもあって歩くことにしました。その方が状況に応じて自由に切り替えられるからです。

バルベリーニ広場からクィリナーレの丘に向かい、その近くのカフェテリアで昼食を摂ったあとヴェネツィア広場に行きました。一見普通の都市の広場とあまり変わった様子はなく、バスターミナルなどもあって賑わっていましたが、広場の一角に聳える記念堂の偉容は、やはりローマ帝国の繁栄を思わせるものでした。


ローマ市内中心部 2
 古代ローマの政治の
 中心フォロ・ロマーノ
 古代ローマの政治の中心
 フォロ・ロマーノの遺構
 フォロ・ロマーノ
 ティトゥスの凱旋門
 アントニヌスとファウス
 ティーナの神殿
 フォロ・ロマーノから
 コロッセオに至る道
 血生臭い歴史の舞台
 巨大なコロッセオ
 古代ローマの闘争の舞台
 コロッセオの内部
 コンスタンティヌス帝
 の凱旋門
 世紀当時の姿をとどめる
 神殿パンテオン
 敬虔な雰囲気が漂う
 パンテオンの内部
 ポーリ宮の壁を利用して
 造られたトレヴィの泉
 ローマ再訪を願って
 トレヴィの泉に群がる人々

ヴェネツィア広場からほんの少し歩くとフォロ・ロマーノです。かつてはローマ帝国の権力の中心であった訳ですが、今は一部を除けば廃墟同然の無残な姿を見せています。歴史に造詣の深い人なら、ここで遠い過去の世界への思いを新たにして深い感動を覚えるに違いないと思います。しかし生憎のことに私は「コチコチの自然派」であるため、そこまで心を動かされることはありませんでした。

コロッセオは確かに凄い規模の建築物で、思わず圧倒されてしまいます。何回か映画で観た囚人と剣闘士や猛獣との闘いが実際にここで行われたのは現代人から見れば残酷極まりないことで、いつの世も権力者は身勝手なものだとの証明の一つと言えるでしょう。

しかし、本当の所は、様々な飛び道具を駆使して戦争という名の大量殺人に励む現代人に、偉そうなことを言う資格がないのは明らかです。悲しいことですが、形は変わっても人間が心の中から獣性を完全に払拭することは至難の業、と言うより不可能なのかも知れません。

トレヴィの泉は、季節はずれの暑さにもかかわらず写真のような人波でした。

この日はかなりの強行軍だったので夕食はちょっと奮発し、翌日に備えて早めにベッドに就きました
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ポンペイ
 ポンペイの遺跡から眺める
 ヴェスヴィオ火山
 ポンペイのフォロ
 (公共広場)
 メインストリート
 アッボンダンツァ通り
 イオニアとコリントの円柱
 が立ち並ぶアポロの神殿
 フォロの入口に向かう
 カリグラ帝の凱旋門
 かつての繁栄の面影
 も失った廃墟
 紀元前世紀に建造された
 円形劇場の外壁
 ヴェスヴィオ火山も見える
 円形劇場の内部
 円形劇場の内部
 古代ローマ人の運動施設
 大体育館跡

最初のプランではナポリもポンペイも電車で訪れるつもりでした。しかしナポリは極端に治安が悪いので単独行動は避けた方がよいとのアドバイスを受け、やむを得ずホテル推薦の現地ツアーを使いました。

ところがこれが運の尽きで、列車なら
時間のナポリまで観光用のマイクロバスで時間も高速道路を揺られ、たださえバス嫌いの私はうんざりでした。おまけに、昼食は手抜きも甚だしい海鮮パスタまがいでとても食べられたものではなく、多分提携先であろうカメオの販売店で貴重な時間を費やすなど、踏んだり蹴ったりでした。単独行でカプリやソレントにも行くつもりが果たせなかったのが残念です。

しかし、ヴェスヴィオ火山が見えるポンペイの遺跡は中々見応えがあり、衰えを知らない健脚にものを言わせて歩き回り、十分に楽しみました。


ローマ(ヴァティカン市国)
 人気も少ない
 早朝のサン・ピエトロ広場
 サン・ピエトロ大聖堂を飾る 
 聖人たちの彫像
 ベルニーニ設計の
 サン・ピエトロ広場
 サン・ピエトロ広場に立つ
 オベリスク
 朝日を受け始めた
 サン・ピエトロ大聖堂
 カトリックの総本山
 サン・ピエトロ大聖堂
 ヴァティカン美術館
 ピーニャの中庭

ヴァティカンへは早朝の地下鉄を利用したのですが、その車内で若い女性がバッグを強奪される場面を目撃し驚かされました。周りの乗客は日本同様見て見ぬふりです。通路もホームも薄暗く朝からかなりの混雑でしたが、早起きのおかげでヴァティカンに着いたときはまだ人影もまばらで、ゆっくりと朝日に輝く大聖堂を鑑賞できました。

美術館の行列もまだ短く簡単に入場でき、システィーナ礼拝堂の素晴らしい絵画も落ち着いて眺めることができ、最後に郵便局で珍しいヴァティカンの切手を手に入れてから再び地下鉄で市内に戻りました。


ローマ〜フィウミチーノ空港
 ローマ法王の別荘もある
 アルバーノ湖
 ローマ郊外の保養地
 アルバーノ湖
 テルミニ駅を出発して
 一路フィウミチーノへ
 空港への車窓から
 ローマ郊外の住宅地
 空港特急の車窓から
 ローマ郊外の風景
 フィウミチーノ駅に
 到着した空港特急
 フィウミチーノ空港駅

帰国の前日、ずっと自然風景に触れていないので事前に調べてあったアルバーノ湖に行きました。テルミニ駅の出札係が切符の種類を間違えるトラブルがあり、列車には滑り込みでした。

ヴェネツィアまでの車中で出会った親切なイタリア人たちとは別に、変に“誇り高い”人々もいるようです。同じイタリアでも、北部と南部では人々の気質が違うのでしょう。売店では先ずお客が愛想を言わないと突っ慳貪にするし、出札係も自らの過ちを認めずプイと横を向いてしまい、他の係が処理する始末です。

ホテルでは、知人への絵葉書にちゃんと
AIR MAILと朱書し料金も払って投函を頼んだのに、実際に日本に届くまで何とヶ月もかかりました。神戸の中央郵便局から連絡が来たことから考えれば、コンセルジュが(多分意識的に)間違えて(料金をネコババし)船便にしたに違いありません。それまで何回メールで問い合わせても梨のつぶてで、毎度のことながらイタリア人のいい加減さには呆れ果てます。


チケット
 ミラノ、空港〜中央駅間
 のチケット
 ドゥオモの観覧券
 ミラノ〜ヴェネツィア間
 のチケット
 ヴェネツィア、
 ヴァポレットの乗船券
 サンマルコ、
 鐘楼の入場券
 ドゥカーレ宮殿の
 入場券
 ヴェネツィア〜ローマ間
 の乗車券
 フィレンツェ〜ピサ間
 の乗車券
 斜塔とドゥオモ
 その他の共通観覧券
 フィレンツェの
 共通乗車券
 ボーボリ庭園の
 観覧券
 ローマ市内の
 共通乗車券
 コロッセオの入場券
 ヴァティカン美術館の
 観覧券
 ポンペイの遺跡の
 入場券
 ローマ・テルミニ
 〜フィウミチーノ間の
 空港特急乗車券
 イタリアの
 テレフォンカード

このときの為替相場がどのくらいだったのか正確には覚えていませんが、これらのチケットの金額を見れば、桁数がかなり大きいことが分かるでしょう。

この旅のとき既に70歳を越していながら、美術、建築、歴史などの素養が全くと言っていいほどない根っからの自然科学バカである私が、何故イタリアを訪れることを思い立ったか自分でも不思議な気がします。人工物の良さもいくらかは理解できますが、どうしても大自然が自然界の法則に従って造りあげる造形美の方に惹かれてしまうのが私なのです。

確かにヴェネツィアやフィレンツェ、ローマなどの建築物の壮麗さ、細部にまでこだわった見事な装飾には驚きを感じます。たとえそれが権力者による搾取と圧政の産物であったにしても、芸術作品としての価値は無限に近いことでしょう。

それにしても、ヨーロッパ人の過去の遺産に対する思いの深さは、ほぼ完全にアメリカナイズされ貴重な文化遺産でも平然と汚したり壊したりする日本人のそれとは比較にならないようです。簡単に壊れたり燃えたりする木と紙の文化と、半永久的に姿を残す石の文化との違いも関係しているかも知れません。


結論から言えば、この10日間のイタリアの旅は私にとってはやはり「猫に小判」(「豚に真珠」かも?)という表現が相応しい旅でした。歴史や美術・建築などの知識がほとんどないのに、「一度くらいは自然風景でなく長い歴史を持つ国を歩いてみるか」という軽い気持ちで出掛けたのですから。確かに、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマそれぞれが歴史の深さを感じさせる何かを示してはくれましたが、予備知識の乏しさはどうにもなりません。恥ずかしいですが、これが本当のことなのです。

心身をリフレッシュできる山登りや高原歩きでなく、溢れる車と人波、それに汚染された空気に悩まされながら堅い路面を歩く辛さ、その上あらゆる危険への対応による緊張が加わり、とてもスイスの旅のような爽快な気分になれるはずもなく、トレヴィの泉にコインを投げ入れる気分には到底なれませんでした。
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北ヨーロッパ
   駆け足の旅
(1989)

ノルウェー、スウェーデン、
フィンランド、ベルギー、オランダ

=海外グループツアー その

コース概略(赤字は宿泊地
  コペンハーゲンオスロ
〜ハルダンゲル〜
ベルゲン
〜スタルハイム〜ソグネフィヨルド
〜フラム〜ミュルダール〜
オスロ
ストックホルム〜トゥルク
〜ハメンリンナ〜
ヘルシンキ
ブリュッセル〜ブルージュ
〜ユトレヒト〜ハーグ
アムステルダム
(1989. 7.24 〜 8. 6



MAP(北欧ヶ国)



以下、ミニ画像をクリックすれば、
拡大写真が表示されます


 コペンハーゲンとその周辺 
 夕暮れのストロイエを
 そぞろ歩く人々
 北欧神話の女神
 ゲフィオンをかたどる噴水
 ねじり模様の尖塔が
 特徴の救世主教会
 コペンハーゲン港に
 停泊する大型フェリー
 コペンハーゲン港の
 マーメイド(人魚姫)像
 女王の住む
 アマリエンボー宮殿
 ヘルシンオアから望む
 対岸のスウェーデン
 最高地点の標高
 が
180mしかない
 平坦なデンマーク平原

コペンハーゲンではずっと快晴でしたが、気温が30度近いにもかかわらずさほどの暑さは感じませんでした。高温多湿の日本との最大の違いです。

ストロイエはブランド物の商店が建ち並ぶショッピング街で、夕方になると歩行者天国になります。

マーメイド像は予想に反して小さなもので人混みに押しつぶされそうでした。

対岸のスウェーデンから、週末になるとアルコール飲料を求めて大勢の人々がフェリーで渡ってくるという珍しい話も聞かされました。


 オスロとその周辺 
 機上から見る
 ノルウェーの山岳地帯
 オスロの街の
 清潔なたたずまい
 アーケシュフーズ城から
 見下ろすオスロ港
 オスロ大学
 ビグドイ地区の博物館に
 展示されたヴァイキング船
 一生の喜怒哀楽を表す
 ヴィーゲランの彫刻
 ホルメンコッレンにある
 スキージャンプ台
 スキー狂だった
 故オーラフ五世の像
 オスロの王宮

いくつかの博物館があるビグドイ地区への近道はオスロ湾を船で渡るコースです。時間の制約でヴァイキング船博物館だけにしましたが、その昔欧米世界を席巻したヴァイキングたちの勇気と造船技術の高さには驚かされます。

ブログネル公園に展示されたヴィーゲランの彫刻から受ける印象は、一口に言えばその異様さです。特に
120体もの人間の様々な姿を彫り込んだ柱はショッキングなものでした。

ホルメンコッレンはかつてのオリンピックのスキージャンプ競技会場として有名ですが、前国王のオーラフ五世は実際にここでのジャンプ競技にも参加したそうです。

実は、私を含めて実際は赤の他人の疑似姉弟と男の子のお母さんの
人で、ちょっとした冒険をしました。白夜の明るさを利用して、真夜中にこのジャンプ台の頂上まで登ってしまったのです。何段あったかは覚えていませんが、支柱の中の階段をせっせと登って頂上に立ったときの強風に揺れるジャンプ台の感触は、今でも鮮明に覚えています。
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 ハルダンゲル〜ベルゲン 
 ハルダンゲルフィヨルド
 の入口付近
 ハルダンゲルフィヨルド
 岸辺の集落
 ベルゲン近郊、グリーク
 の生家トロルハウゲン
 トロルハウゲンに保存された
 グリーク愛用の楽器
 高台に並ぶ
 ベルゲンの別荘群
 ハンザ商人の本拠だった
 ベルゲンのフェリーターミナル
 獲れたてサーモンが美味し
 かったベルゲンの朝市

ベルゲンへの移動の途中、ハルダンゲルフィヨルドを覗いたりしながら山間の小さな村やノルウェー版の裏見の滝に寄ったりしました。

ペールギュント組曲で有名な作曲家グリークの生家は、ベルゲンにほど近いフィヨルドの岸辺近くにあり、愛用の楽器などが保存されています。

ベルゲンは、素朴なたたずまいの中にもかつてのハンザ商人たちの基地、また現在はノルウェー最大の漁港としての活気も秘めています。町の人々も一種の誇りを持っていて、また旅行者にも気軽に声をかける人なつっこさも兼ね備えています。

波止場の朝市で獲れたてサーモンを挟んだサンドウィッチに舌鼓を打ちましたが、本当にほっぺたが落ちそうでした。


   ベルゲン〜ソグネ
 〜ストックホルム 
 山間の村ヴォスの13世紀
 に建造されたヴォス教会
 スタルハイムから見る
 ノール渓谷
 世界最長最深の
 巨大なソグネフィヨルド
 フロム〜ミュルダール間
 を走る山岳鉄道フロム線
 フロム線の名物 ホーム
 の真下を怒濤のように 
 流れ落ちるヒョースの滝
 ミュルダール駅に到着する
 オスロ行き特急列車
 車窓から見る万年雪の
 世界 ハッリッグス山地
 海上から見る
 ストックホルム市庁舎
 黄金色が眩い
 市庁舎のブルーホール
 市庁舎内
 金箔モザイクの黄金の間
 国王一家の住まい
 ドロットニングホルム宮殿

スタルハイムの丘からノール渓谷を見下ろしたとき真っ先に頭に浮かんだのは、その景観が奥穂高の頂上から上高地を見下ろしたものに酷似していることでした。

世界最長(
204km)であり最深(1308m)のソグネフィヨルドは、そのあまりの巨大さと周囲の山々(2000m級)との対比からか、私には迫力という点ではやや予想とは違ったものでした。第二次世界大戦の頃は、北のトロンハイムやナルヴィックなどと同じく、ドイツ海軍の基地にされていたのではないかと思います。

ソグネフィヨルドの岸辺にあるフロムからベルゲン、オスロ間を結ぶ幹線の途中駅ミュルダールまでのフロム鉄道の沿線では、駅ホームの真下を轟々と流れ落ちるヒョースの滝が見物でした。電車もしばらく停車してゆっくり滝を鑑賞できるのです。この路線が現在では有名な観光路線となり、車両も豪華なものに変わっていることは
TVでも時折紹介されています。

ストックホルムでは自由時間に独り歩きを楽しもうとしましたが、地下鉄の駅へと下る階段付近には出稼ぎらしいアフリカ系の人々が大勢たむろしていて、ちょっと二の足を踏んでしまい諦めました。
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 バルト海〜トゥルク〜ヘルシンキ 
 バルト海の女王 シリア
 ラインの巨大なフェリー
 フェリーから望む
 早朝のフィンランドの大地
 清浄な空気に包まれた
 フィンランドの森と湖
 湖畔に立つ素朴さに満
 ちた本場のサウナ小屋
 生家に保存された
 シベリウス愛用の楽器
 すがすがしい
 ヘルシンキの町並み
 小雨そぼ降る
 ヘルシンキの朝市
 ヘルシンキ市庁舎
 清楚なたたずまいの
 ヘルシンキ大聖堂
 岩山をくり抜いたUFO
 の教会テンペリアウキオン
 テンペリアウキオン
 教会の内部
 テンペリアウキオン
 教会のパイプオルガン
 
 ステンレスパイプの
 モニュメントが珍しい
 シベリウス公園

ストックホルムからトゥルクまでシリアラインの巨大フェリーでのバルト海クルーズは、船内の設備の豪華さと安定した航海で楽しいものでした。それにもまして、翌朝初めてフィンランドの大地を目にしたときの新鮮な喜びは、今でも忘れられません。何年か前にこの巨大フェリーが沈没したと知ったときは大変驚きました。

トゥルクからハメンリンナまでの途中、湖畔に立つサウナを体験しました。丸太小屋の中での本場のサウナは、焼いた石で蒸気を発生させたり、白樺の枝で身体を叩くなど野趣豊かな本来のもので、滅多にできない経験でした。

ハメンリンナではシベリウスの生家でフィンランディアの演奏を聴くことができました。実を言えば係のおばさんに「日本でもシベリウスの音楽が人気がある」とお世辞を言ったのが功を奏したのです。リップサービスも中々役に立つものです。

ヘルシンキで最も驚かされたのはテンペリアウキオン教会の外観です。この国にこんな奇抜なデザインの建築物があるなど予想もしていませんでしたから。
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MAPベルギー・オランダ)



 ブリュッセル〜ブルージュ 
〜ハーグ〜アムステルダム
 ブリュッセルの中心街
 グラン・プラスのカフェ
 市民のマスコット
 
600歳を超す小便小僧
 運河沿いに建つ
 中世そのままの家並み
 オランダのシンボル
 風車群
 マドローダム
 アンネ・フランクの隠れ家
 マドローダム
 ミニチュアのチーズ工場

ブリュッセルの町は何となく雑然とした感じでした。有名な小便小僧も本来の姿でなく服が着せてあり、ここにも何かとうるさいPTAマダムがいるのかなと、思わず吹き出してしまいました。

ブルージュは町全体がまるで中世そのもので、とても印象的でした。また、アムステルダムで訪れたアンネ・フランクの隠れ家はいかにも狭く、ここでナチスの目を逃れながら日記を書き続けたことに大変感銘を受けました。

スカンジナヴィア三国は、もう一度ゆっくり時間を取って地方まで回りたいところですが、私にはもう年齢的にみて無理だと思います。

ところで、オランダではちょっとした出来事がありました。ブリュッセルからアムステルダムまではバスで移動することになっていたのですが、このツアーに参加する前に、私自身は途中から単独行動でハーグにあるミニチュア都市マドローダムに行くことを考えていたのです。コースの中程のユトレヒトでバスを降り電車でハーグに行くつもりだったのですが、いざそのときになって多くの人が行動を共にしたいということになり、結局ツアーグループが二分される羽目になってしまいました。私たちがマドローダムで楽しんだあと電車でアムステルダムのホテルに着いたのは夜半近くだったので、添乗員はさぞ気をもんだことでしょう。本当にお騒がせな私でした。
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オーストラリア東南部
メルボルンの知人を訪ねて

海外グループツアー 

コース概略赤字は宿泊地
  シドニー〜ブリスベーン
ゴールド・コースト〜ブリスベーン
メルボルンシドニー
〜ブルー・マウンテン〜
シドニー
(1994.10.24〜11.2)

MAPオーストラリア東南部




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ゴールド・コーストとその近郊
 夕暮れ迫る ゴールド
 コーストのリゾートホテル群
 ドリームワールドの
 メインストリート
 ドリームワールド
 野生動物園のカンガルー
 シーワールドの
 水上スキーショー
 シーワールドの火山
 はげしい噴火のショー
 ムービー・ワールド
 近辺の熱帯植物
 マウント・タンボリンの
 ハンググライダー

ゴールド・コーストはいかにも亜熱帯のリゾート地らしい風貌を見せていました。やはり若者や派手な活動を好む人々のための町という感が強く、山の静寂の方が遙かに好きな私にとっては、単にツアーのプランに盛られていたからということ以外の意味はなく、どちらかというともったいない感じが強い退屈な日間だったのです。

ドリームワールド、シーワールド、カランビン野鳥園、ムービーワールドは言わずもがな、タンボリン国立公園にもさして魅力があるとは思えず、ひたすら親しい知人の待つメルボルンへと心が逸る罰当たりな私でした。

この後、ブリスベーンから空路メルボルンへと移動することになります。


メルボルンとその近郊
 メルボルン観光の足
 大通りを走る遊覧馬車
 長い駅舎で有名な
 フリンダース・ストリート駅
 スワンストン通りから望む
 セント・ポールズ大聖堂
 ダウンタウンを望む
 ヤラ河畔で
子さんと
 メルボルン郊外、ダンデノンの公園
 レストランで
Rさんとランチ
 パッフィン・ビリー号の無人
 駅で乗車前のひと仕事
 遊覧列車の終着駅
 ミニ
SLの運転席で

かつての首都でありガーデンシティとも呼ばれるメルボルンは、今回の旅の中で最も期待を持っていた町です。と言うより、むしろメルボルンが含まれていたからこのツアーを選んだとさえ言えるでしょう。

町並みが
19世紀の英国調で落ち着きがあり、シドニーのようにアメリカナイズされた猥雑さもなく、ゆったりした気分で過ごすことができました。

ツアーグループを抜け出して郊外に住む知人の
さん宅を訪問して一泊させてもらい、食事や散策、談笑などを楽しめたのは何よりの喜びでした。

また、以前からのレールファンである私にとっては、郊外の野山を抜けて走るパッフィン・ビリーという名の可愛い遊覧列車も、結構楽しめるものでした。


シドニー
 アポリジニの作品もある
 シドニー空港国内線フロア
 白い帆船をイメージした
 シドニー・オペラハウス
 シドニー湾をまたぐ
 シドニー・ハーバー・ブリッジ
 湾岸の緑濃い公園
 王立植物園

お決まりのオペラハウスやハーバー・ブリッジを除けば、シドニーの町の記憶はあまり残っていません。オーストラリア第一の大都市であり、便利で活気もありますが、活気は裏返せば喧噪や猥雑に通じます。一刻も早く人混みから抜け出したい私の頭は、翌日の電車によるブルー・マウンテンへの遠出のことでいっぱいになっていました。


ブルー・マウンテン
 シドニー駅で発車を待つ
 郊外電車シティレイル
 ブルー・マウンテンの玄関
 カトゥンバ駅に到着
 エコー・ポイントから見る
 ブルー・マウンテンの奇観
 スリー・シスターズ
 スリー・シスターズと
 ”フォア・ショット”
 青く霞むブルー・マウン
 テンの岩壁群
 落ちれば千仞の谷
 最大傾斜
52°
 シーニック・レイルウェイ

自由行動の一日を利用して郊外にハイキングに出掛けました。山らしい山のないオーストラリアですが、日帰りで一応楽しめそうな場所として下調べしてあったのが、ブルーマウンテンの一角カトゥンバです。

ホテルのコンセルジュから時刻表を貰い、早朝ホテル近くのサーキュラ・キー駅から環状線でシドニー中央駅に回り、
時半発の郊外電車(下の公式時刻表参照)で約時間、ブルー・マウンテン国立公園の入口であるカトゥンバに到着、僅かの時間ながら山腹を歩き回りました。この旅で唯一自然に触れることができた貴重なひとときです。

一つだけ思いがけないハプニングがありました。のどが渇いて飛び込んだ小さな喫茶店でコーヒーを注文したら、凄い剣幕で断られたのです。遙か
50年以上も前に日本の潜水艦がシドニーを攻撃したとき、身近な人が何か被害を被ったのでしょう。いまだに日本人をひどく恨んでいたようです。戦後派の人々には想像もできないでしょうが、戦争とはこのような深い傷跡を長年にわたって残すもので、二度と起こしてはならないのです。


チケット等
 土ボタルツアーの
 参加修了証
 シドニー、サーキュラ・キー
 〜カトゥンバ間の乗車券
 コンシェルジュから貰った
 シティレイルの公式時刻表

ニュージーランドと同じくオーストラリアも日本との時差がほとんどないため、機上で過ごす時間の長さにさえ耐えられれば比較的楽な海外旅行です。オーストラリアと一口に言っても、実際は東西、南北ともに数千キロの大陸であり、どこを訪れるかによって服装等の準備にかなり配慮が必要です。私の場合は並外れて暑さに弱いため、ゴールド・コーストの気温がとても気にかかりました。

自然派とは言っても、動植物よりも山や高原、湖が好き、つまり「生き物よりも無生物に深い興味を持つ」私には、エアーズ・ロックのような不可思議な存在を除けばオーストラリアには山らしい山が見当たらないことが残念で、山水の美がふんだんにあるお隣りのニュージーランドに比べれば切実な思いが湧く筈もなく、メルボルンの知人との再会が唯一最大の喜びという有様だったというのが事実です。
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